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トッド後の社会科事典

おかね(付・資本主義経済)

財やサービスの交換の際の決済手段。形(トークン、粘土版に刻んだ印、帳簿上の数字など)にかかわらず、市場において決済に使用できる媒体はおかねである。

おかねの機能

おかねの基本的な機能は、財の流通の促進・容易化である。原初的な社会では、財は家族類似の集団の中で共有(分配)されるほかは、贈与・互酬の関係を通じて主に親族集団の内部を流通したと考えられる。文明が始まり、都市国家が生まれる頃、交易が始まり、同時におかねの使用も始まった。以来、人間界では、共同体(社会)の内外で、おかねのネットワークが構築され、財の円滑な流通を支えている。

一定の規模を超えた社会で、人々に生活必需品(衣食住に必要な財)を行き渡らせるには、おかねのネットワークを通じた財の流通が不可欠であることから、おかねはしばしば人体における血液にたとえられる。

社会の健康状態(健全性)は、流通するおかねの質と量によって大きく左右される。この点でも、血液の比喩は有意義である。

  • おかねの基本的な機能は、財の流通の促進・容易化である
  • おかねの質と量は社会の健全性を大きく左右する

おかねの価値の源泉

おかねの価値の源泉は、財やサービスとの交換可能性にある。人々がおかねによる決済を受容するのは、そのおかねで別の財やサービスを手にいれることができるからである。この意味で、おかねには「財やサービスを要求する」という性格がある。

社会を流通するおかねの量が増えると、同時に、社会を流通する財やサービスの量も増える。おかねは「財やサービスを要求する」からである。

社会の側から見ると、おかねの増量は「豊かさ」の増加である。一方、自然の側から見ると、おかねの増量は「資源の減少」にほかならない。

地球上の財やサービスは、例外なく(直接・間接に)地球上の資源を原料として生み出されるからである。

19世紀後半以降の化石燃料の大量消費、20世紀後半以降の大規模な森林破壊は、いずれも、各時期におけるおかねの総量の増大がもたらした現象として説明可能である。

ドルの流通量 https://fred.stlouisfed.org/series/CURRCIR
  • おかねの価値の源泉は、財やサービスとの交換可能性であり、おかねには「財やサービスを要求する」性質がある
  • おかねの増量は、社会から見ると「豊かさの増加」であるが、自然の側から見ると「資源の減少」である
  • 化石燃料の大量消費、森林破壊などによる環境破壊はおかねの総量の増加の帰結として説明できる

おかねの信用源

おかねの価値は、おかねそのものの物質的価値ではなく「財やサービスとの交換可能性」にある。おかねが貴金属(金や銀)でできている場合もこの性質に違いはない。

紙幣(紙切れ)や預金(数字)の場合に顕著だが、「財やサービス」そのものではないおかねを決済手段として通用させるには、人々におかねの価値(交換可能性)を信用させるための何かが必要である。通常の場合、おかねの信用の元となるのは、発行者の経済的信用である。

近代以前に紙幣の流通を成功させた事例(中国やモンゴル)では、1️⃣国家(政府)が、2️⃣自らの権威と財力(税金収入や政府自身の事業収入)を信用源として発行・通用させていた。この場合、おかねの信用の基礎は、国内の経済活動(経済的活力)にあるといえる。

現代のおかねは「資本としてのおかね」であり、1️⃣民間の金融機関(銀行)が、自らの財力ではなく、2️⃣貸付(投資)と回収による金回り を信用源として発行する点に特徴がある。

  • おかねを通用させるにはその信用を支える何か(信用源)が必要である
  • 現代のおかねは(発行者の財力ではなく)貸付(投資)と回収の金回りを信用源とする「資本としてのおかね」である

資本としてのおかね(資本主義経済)の誕生

資本主義経済とは、「資本としてのおかね」を基礎として発展した経済のことである。資本主義の基本的な性格を理解するため、この「資本としてのおかね」の誕生の経緯を確認しよう。

(1)民間金融業者が「資本としてのおかね」を発行

「資本としてのおかね」が生まれたのはイギリスである。17世紀のロンドンは「商業革命」(外国から魅力的な商品を掠め取ってきて国内外で売りまくる新規ビジネスの隆盛)にわき、資金需要が高まっていた。

辺境の三流国家であった当時のイギリスの政府に、新しい経済を回すのに必要なおかねを発行する能力はなかった(権威も経済的信用も確立していなかった)。

しかし、当座の資金さえ用意できればいくらでも成功の機会があるというこの状況を見逃す手はない。

そこで、民間の金融業者が手形(紙切れ)や口座(数字)による貸付をはじめ、それらがおかねとして機能(流通・通用)することで「資本としてのおかね」が誕生したのである。

(2)法定通貨化と基軸通貨化

民間の金融業者が発行したおかねの信用源は、「貸せば利子をつけて戻ってくることが確実」(貸付(投資)と回収による金回り)という見込みにある。原資がなくても発行できる点は便利だが、金回りに行き詰まれば即座に信用を失う、不安定なおかねである。

しかし、自身もつねにおかねに困っていたイギリス政府は「貸付によっておかねを生む」というこの魔法に飛びつき、国家財政の中核に据えた(いわゆる「財政革命」→イングランド銀行の設立・国債制度の確立)。ロンドンの街角で生まれたおかねは、 1️⃣民間業者の発行、2️⃣貸付と回収の金回りが信用源 という基本的性格を保持したままで、国の法定通貨になったのである。

魔法のおかねを手にしたイギリスは世界の覇者となり、ポンドは世界に通用する通貨(基軸通貨)となった。やがて、貿易でも工業でもなく金融(貸付)こそがイギリスの基幹産業となり、イギリスは世界に向けて大量のポンドを発行し続けた。

ポンドが「グローバル資本としてのおかね」に成長したこの時期までに、資本主義経済の基本的性格は確立されていた。

(3)「永遠の経済成長」の夢

現代に至る資本主義の性格を定めたのは「グローバル資本としてのおかね」の信用源である。

ロンドンの街角で生まれた「資本としてのおかね」は、三角貿易に代表される植民地貿易の成功によって生まれた。

「資本としてのおかね」は、最初から「無限に広がる(と見えた)ビジネス・チャンス」を信用源としていたが、民間人の貿易だけでは成長は頭打ちだったはずである。

しかし、国家との結びつきはイギリスに成長を「力づくで」もぎ取る力を与えた。さらに、基軸通貨の地位は、世界中の成長機会をイギリスの成長に接続した。

イギリスの覇権が続く限り無限に続くと思われた成長。「グローバル資本としてのおかね」は、こうして、「永遠の経済成長」の夢を信用源として発行され、世界中に流通するものとなったのである。

(3)「成長」の主体はあくまで「自分たち」

重要なことはもう一つある。おかねの信用を支えた「永遠の経済成長」の中身が、最初から最後まで、世界中の富や成長機会を利用した「自分たちの」(イギリス自身の)経済成長であったという点である。

覇者となったイギリスが、このおかねを、世界を搾取するためではなく、世界を真に豊かにするために用いることは(理論的には)可能であったと思われる。しかし、事実として、彼らはその道を選択しなかった。

「自分たちの永遠の経済成長」だけが信用源(金融機関がおかねを発行する動機)であるという性格は、次に基軸通貨となるドルにも自然に受け継がれ、「一部の国(西側諸国)だけを利する」という、資本主義経済の基本的性格を決定した。

  • 現代の資本主義経済を支える「グローバル資本としてのおかね」は、世界の富や成長機会を利用した「自分たちの」「永遠の経済成長」の夢(に依拠した金回り)を信用源とするおかねとして確立した
  • 上記の性格はドルに受け継がれ、資本主義経済は「西側諸国だけを利する」ものとなった

劣化する資本主義経済

二つの世界大戦を経てポンドが(事実上)破綻した後、(自分たちの)「永遠の経済成長」の夢を信用基盤とする基軸通貨の地位はドルに引き継がれた。

大戦直後にはまさに「永遠の経済成長」を体現するように見えたアメリカが、産業力を大幅に上回る旺盛な消費(軍事費含む)によって赤字大国に転落するのに時間はかからず、ドルは1960年代の後半にはすでに破綻の危機に直面していた。

このとき、ドルを支えたのは西側諸国(ヨーロッパと日本)である。戦後の復興の過程で西側諸国はドルのネットワークに深く組み込まれ、ドルの命運は西側諸国を中心に広がる「世界経済」の命運を左右するようになっていた。ドルは、アメリカ一国を超えて、西側諸国全体にとっての(自分たちの)「永遠の経済成長」の夢を背負う存在になっていたのである。

西側諸国は、赤字を抱えるアメリカに支払いを迫ってドルを破綻させる代わりに(黒字分で)アメリカ国債を買い(=アメリカにおかねを貸し)、為替市場ではドル買い介入をしてドルを支えた。

しかし、結果的に見ると、支援によって状況はさらに悪化したといえる。いくら赤字を出しても破綻しない状況下で、アメリカはドルによる大量消費を継続し、西側世界はドルのさらなる過剰供給に苦しむこととなったからである。血液の比喩でいえば、西側諸国は、成長を終えた身体に質の悪い血液を大量に注入された状態となっていた。

それでもなお、ドルの暴落を防ぐため、西側諸国(アメリカを含む)は血眼(ちまなこ)になってフロンティア(新たな投資先)を探し、新たな金融手法の開発、IT・AI・宇宙ビジネスや創薬、新興国への搾取的な投資など、「無限の可能性」の期待をそそる事業への投資を続けた。

近代化の初期や戦後復興期にはたしかに(少なくとも西側諸国の)実質的な経済成長を支えた「グローバル資本としてのおかね」は、こうして、見事なまでに劣化を遂げた。

暮らしむきの向上と無関係の「経済成長」に人々を駆り立て、新興国の富や労働力を搾取して彼らの実質的な成長を阻害し、地球上の資源を徒に浪費して、自身の延命を自己目的とする。「グローバル資本としてのおかね」は、そのような存在に成り下がったのである。

  • 成長期を過ぎてもなお「永遠の経済成長」に向けた大量発行が続けられた結果「グローバル資本としてのおかね」は著しく劣化し、世界を分断・自然を破壊するだけの有害な存在となった

「永遠の経済成長」の夢の終わり

ドルの形をとった「グローバル資本としてのおかね」は、2008年に事実上破綻し、現在は延命治療によって生き永らえている状態であるが、破綻が顕在化するのは時間の問題である。

現在の世界の歪みと混迷の原因は、世界を流れる「血液」であるおかね(グローバル資本)が、1️⃣特定の国家に帰属し、かつ、2️⃣彼ら自身の「永遠の経済成長」という法外な夢(に基づく金回り)を信用源とするおかねであったことにある。

ドル崩壊後も「資本としてのおかね」の利用は続くであろう。しかし、新たな国際通貨(グローバル資本としてのおかね)は、1️⃣異なる家族システム(集合的メンタリティ)に依拠する複数の国家・社会がそれぞれor共同で、2️⃣相当程度の公的管理の下で、3️⃣それぞれの集合的メンタリティに見合った経済活動に資する目的のために発行するおかねとなることが予想され(いわゆる多極化 [multipolarization])、単一の勢力の暴走によって生じた苛烈な紛争、自然破壊、経済的・社会的格差の増大といった問題は、(時間をかけて)抑制されていくはずである。

ドルの終わりは、西側諸国が見た(自分たちの)「永遠の経済成長」という法外な夢の終わりである(近代の終わりでもある)。

不安ですか?
いやいや。

西側諸国を含むすべての人間に、より公平で、常識的で、持続可能な社会への道を開く、絶好のチャンスの到来である。

  • ドルの終わりは「(西側諸国の)永遠の経済成長」という法外な夢の終わりであり、より公平で、常識的で、持続可能な世界への第一歩である

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