はじめにー宗教と家族システム
社会の最基層に位置し、歴史に最も永く深い影響を及ぼすものは家族システムである、というトッドの理論に対しては、「宗教は?」と疑問を持たれる方がいると思います。
「人間を最も深い部分で動かしてきたのは宗教ではないの?」と。
トッドは、宗教が、経済や政治的イデオロギーよりも深い部分で社会を動かす重要な因子であることを認めます(たぶん、教育と同じ層です)。しかし、宗教自身もまた、家族システムの決定力から自由ではありません。
以下は、マックス・ウェーバー的な議論を念頭に置いたトッドのコメントです。
家族的決定因の存在を知らずに、宗教の死とイデオロギーの誕生、そして宗教とイデオロギーの間に存在する構造の類似性に気付く観察者はだれでも、諸価値が宗教的次元から政治的次元へと直接移動したという印象を持つだろう。そして、宗教的要素が政治的要素の形を決める‥‥と考えてしまうだろう。しかしそこに観察された移動は実は錯覚であって、それは家族制度という根本的決定因子の恒常性のなせるわざに他ならない。
『新ヨーロッパ大全 I』250頁
ウェーバーは、「心の動きの型」のようなものに着目した点で、心性を重視する歴史人類学の先駆者の一人といえますが、その彼が、人間の行動を通じて社会を動かす力としての「世界観」の出元として注目したのは、宗教でした。
よく知られているように、ウェーバーは、資本主義(あるいはまた、合理主義の精神を基礎とする西欧近代そのもの)をもたらしたのは、プロテスタンティズムが培った心性であると考えました。
また、彼に着想を与えた一人であるイェリネクは、基本的人権の思想に、宗教的な起源を見出していたといいます。
個人の、譲渡できない、生得的で、神聖な諸権利を法的に確定しようとする理念は、政治的ではなく、宗教的な起源をもつ。これまで革命の産物であると思われていたものは、実は、宗教改革およびその闘争の果実なのである。
野口雅弘『マックス・ウェーバー』(中公新書、2020年)74頁(ゲオルグ・イェリネック『人権宣言論争ーイェリネック対プトミー』(初宿正典訳)(みすず書房、1995年)99頁からの引用)
最近でも、世界のさまざまな事象について、根本的な原因は宗教である、という議論をする人は結構います。
こうした議論は、もちろん有効ではあります。宗教は、政治経済よりも深層で人間の心性に作用していますから、宗教を参照することが、社会をより深く理解することにつながることは間違いない。
しかし、今やわれわれは、宗教よりももっと深い部分にある家族システムに関する知識を手にしているのですから、それで満足するわけにはいかないのです。
・ ・ ・
『新ヨーロッパ大全』において、トッドは、宗教改革以降(すなわち近代化の過程)のヨーロッパにおける宗教的変遷を、家族システムを梃子に説明し尽くしました。
初めて読んだ時の驚きと興奮は忘れられません1忘れられないといえば、マルティン・ルターについて調べようと初めて英語で検索してみたときの衝撃も忘れられません(余談です)。何となく持ち続け、ときどき調べてみてもよく分からずに終わる疑問の数々(例えば下記のような)が、数ページの中で見事に解消されていく。口をぽかんと開けて読み進めると、ヨーロッパのいろいろへ理解が深まるだけでなく、「宗教という現象を等身大で捉えられるようになる」というおまけまでついてくる。
・カトリックとプロテスタントってどう違うのか。神父と牧師とか教会組織とかだけでなく、教義も違うのか。 ・「プロテスタント」にもいろいろあるようだが、どこがどう同じで、どこがどう違うのか。 ・イギリス国教会は結局何なのか。 ・アメリカのプロテスタントがやたら細分化して、個性の立った牧師が激しい説教を繰り広げて熱狂を巻き起こしたりするのは何なのか。 ・そもそもなぜ「自由・平等」のフランスがカトリックなのか ・性的放縦の代表のようなフランスと、アイルランドが同じカトリックってどういうことなのか。等々‥‥
そういうわけなので、皆さんには、基本的には『新ヨーロッパ大全』をお読みになることをお勧めします。とはいえ、読むにはそれなりに骨が折れ、時間もかかる。そこで、今回は、その「宗教」に関する部分のエッセンスを、歴史やキリスト教に関する基礎知識を付け加えつつ、ご紹介させていただきます。
トッドは宗教の形を決めているのも家族システムであることを明らかにした
宗教改革直前の状況(1500年)
話は宗教改革が起こる直前の1500年から始まります。
西暦1500年、西ヨーロッパのキリスト教は一つです。「イタリアからスウェーデン、ポルトガルからザクセンまで」、ローマ・カトリック教会の権威を認め、同一の信仰と同一の典礼を持ち、宗教的エリートはみなラテン語という一つの言語を用いていました。
とはいえ、キリスト教への改宗時期や、社会の中での重みはそれぞれに違います。
当時の文化的先進地域であった南部(フランス、イタリア、スペイン等)では、キリスト教の歴史は古く、1500年の段階で、1200年以上が経過していました。
しかし、その分だけ重みがあったかというと、そうではない。この地域には、キリスト教以前の古典古代の記憶が残っています。キリスト教は、もともと存在していた文明の中に、後からつけ加わった一要素にすぎません。
その意味で、この地域のキリスト教は、「長いけど軽い」。
他方、北部地域(フィンランド、スウェーデン、デンマーク、スコットランド、アイルランド、北部ネーデルラント、北部・中部ドイツ等)では、キリスト教の歴史は浅く、もっとも遅いフィンランドの改宗は13世紀末です。
それにもかかわらず、これらの地域のキリスト教は「重い」。それは、これらの地域では、「キリスト教への改宗」は、それ自体が、「文明への到達」あるいは「歴史時代のはじまり」(!)を意味するものであったからです。
無文字社会であったこの地域に、文字を持ち込んだのは教会です。教会がもたらしたラテン・アルファベットを、それぞれの言語の表記にも使うようになって、ヨーロッパ北部は初めて歴史時代に到達した。これらの地域にとって、キリスト教の存在感は、その分だけ大きく重いのです。
西暦1500年の西ヨーロッパは、古さと軽さ、新しさと重さがバランスを取る形で、単一のキリスト教を奉じる。そのような世界でした。
しかし、まもなく、ルターの口火により、宗教改革がヨーロッパを二分することになります。
以下で素描するのは、単一の信仰で覆われていたヨーロッパ世界にプロテスタンティズムが生まれ、ある地域では浸透し、ある地域では拒絶され、ある地域では変化した結果、宗教上の多様性がヨーロッパを満たした後、時間差を伴いながら、すべての地域で信仰が崩壊していく。その過程です。
西暦1500年、宗教改革がヨーロッパを二分する直前、ヨーロッパは単一のキリスト教で結ばれていた。
宗教改革と対抗宗教改革
ー直系家族 VS 平等主義核家族
(1)宗教システムの二面性—地上成分と天上成分
現世において彼岸を問うのが「宗教」です。その必然的な帰結として、すべての宗教システムは、現世的成分(地上成分)と彼岸的成分(天上成分)を合わせ持っています。
この二つは、信仰を行う人の頭の中では一つに混じり合っているのですが、この二つを切り離すことが、トッドの分析の鍵となっています。この作業によって、各地域の異なる反応の意味を、正確に分析することが可能になるのです。
①地上成分:現世における宗教実践(教会の権威、聖書の位置付け等)
②天上成分:彼岸に関する教義
(2)プロテスタンティズムの登場
では、ルターのプロテスタンティズムを例に、「二面性」を説明してまいります。
*先に存在していたのはカトリックですが、宗教改革以降のカトリックは、プロテスタントの登場を受けて再定義されたものなので、プロテスタントを先に説明します。
(宗教改革の始まり—世界史の教科書から)
ご関心のある方のために、宗教改革が起こる以前のキリスト教の状況について、世界史の教科書からの情報を抜粋します(山川出版社『詳説 世界史B』改訂版、2016年)。
「カトリック教会への批判はすでに14世紀ごろからみられたが、1517年、ドイツ中部ザクセンのヴィッテンベルク大学神学教授マルティン=ルターは、魂の救いは善行にはよらず、キリストの福音を信じること(福音信仰)のみによるとの確信から、贖宥状(免罪符)の悪弊を攻撃する95カ条の論題を発表した。当時、メディチ家出身の教皇レオ10世は、ローマのサン=ピエトロ大聖堂の新築資金を調達するために、教会への喜捨などの善行を積めば、その功績によって過去におかした罪の赦されると説明して、贖宥状を売り出していた*。 ( *ドイツは政治的に分裂していたため、教皇による政治的干渉や財政上の搾取をうけやすく、「ローマの牝牛」といわれた。)」
だそうです。
もう少し遡りますと、ローマ帝国末期には五本山(ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリア)の一つであったローマ教会は、帝国分裂、西ローマ帝国滅亡の後に、それらから分離して独自の活動を展開するようになり、ゲルマン人への布教などを通じて西ヨーロッパにおいて権威を確立していきました。
しかし、その権威は、各国の王権の伸張によって弱まり、フランス王による「教皇のバビロン捕囚」、ローマとアヴィニョンに教皇が並び立つ教会大分裂により、教皇と教会の権威は決定的に失墜します。
その後、コンスタンツ公会議(1414-1418)で大分裂を解消、教皇・教会の堕落や腐敗を批判して改革運動を起こしたウィクリフやフスを異端とする(フスは処刑)などしましたが、教義の形骸化や聖職者の腐敗を改めることはできず、権威は回復しなかった。
という辺りが、宗教改革以前に関する教科書知識です。
(プロテスタンティズムの地上成分)
ルターの「地上」における目標は、聖職者による宗教生活の独占の廃止です。
教皇、司教、司祭、修道院の者たちは聖職身分と呼ばれ、諸侯、領主、職人、農民は俗人と呼ばれる、などということになっているが、これはまさしく巧妙な企みにして見事な偽善である。しかし何ぴともこのような区別に脅かされてはならない。何となれば、実はすべてのキリスト者は聖職身分に属するのであり、キリスト者の間には、役目の違いを除いて、いかなる違いも存在しないという正当な理由があるのである。このことはパウロが次のように述べて示したところである。すなわち、われわれは単一の集団をなすものであるが、その成員はそれぞれ固有の役目を持っている、と。
『ヨーロッパ大全 I』123頁による『ドイツ民族のキリスト教貴族に告ぐ』(1520年)からの引用
ルターは、聖職者の権威を否定してキリスト者の自由を謳い、聖職身分と俗人身分の区別を否定してキリスト者の平等を訴える。信仰における「自由と平等」、いわば、信仰の民主化運動を展開するのです。
聖書のみを拠り所とする福音主義、聖書と典礼の民衆の言葉への翻訳、聖職者の結婚を認めるべきこと、修道会の廃止、教皇の権威の拒否といったプロテスタントの綱領は、概ね、聖職者の権威の否定=キリスト者の自由・平等の要請から派生したものといえます。
プロテスタンティズムの地上成分は、聖職者の権威の否定
(プロテスタンティズムの天上成分)
他方、ルターの解釈による救済の条件、すなわち彼岸における「罪の贖いと永遠の生の獲得の条件」に見られるイデオロギーはこれと大きく異なります。
「神の全能」という命題(これ自体はキリスト教徒全員が理論上は認める)から、ルターは次のように解釈を進めます。
「しかしもしわれわれが神に前知と全能を認めるならば、その当然にして不可避の帰結として、われわれがわれわれ自身によって作られたのではなく、また、われわれが生き、行動するのは、われわれ自身によってではなく、ただ神の全能の力によってである、ということになる。もし神が永遠の昔より、われわれが如何なるものになるのかを知っており、もし神がわれわれを動かし、導くのであるのなら、われわれの裡に何らかの自由が存在するとか、神が予想したのとは別のことが起こり得るとかいうことは、想像もできないのである。神の前知と全能は、われわれの自由意志と完全に対立する。」
神はわれわれが如何なる者であるかを予め知っている。ということは、神はその「前知」に基づき、ある者を救い、他の者を劫罰に処することを、予め選択していることになる。これは、言い換えれば、現世の人間は、彼自身の意思とは全く無関係に、救済される者と、劫罰に処される者の二種類に分かれている、ということでもある。
聖アウグスティヌスから受け継がれた救霊予定説は、ルターによる解釈、カルヴァンによる明確化を経て、正統プロテスタンティズムの核心部分を構成することになります。
こうして「権威と不平等」すなわち以下の二つの命題が、「天上」を司る根本命題となるのです。
1 救済を決めるのは神である。人間は自らの力で救済を得ることはできない(神の権威への隷属)
2 人間は救済される者と劫罰に処される者に分かれる(人間の不平等)
プロテスタンティズムの天上成分は、権威と不平等
(なぜドイツ北部でプロテスタンティズムが発生したのか)
「地上における自由と平等」「天上における権威と不平等」を内容とする正統派のプロテンスタンティズムの運動は、なぜ、ドイツで始まったのでしょうか。
ドイツ北部 | 正統プロテスタンティズム | |
---|---|---|
地上成分 | 高い識字率 | 信仰の民主化(聖職者への異議申立) ・聖職者の権威を否定。 ・「われわれは皆聖職者だ」 |
天上成分 | 直系家族 ・親の権威 ・兄弟の不平等 | 権威と不平等 ・救済を決めるのは神である ・人間は救済される者と劫罰に処される者に分かれる |
①地上成分
宗教改革には、「プレ民主化運動」という側面が濃厚にあります。1500年当時、識字能力を獲得しつつあったのは、貴族や商人。彼らが聖職者の支配から脱し、自律性を確保するための運動、それが宗教改革であったのです(識字化と民主化の関係についてはこちらをご覧ください)。
教会を攻撃し、その財産と土地を奪い取り、その組織を破壊したのは、貴族に他ならない。一千年近くも続いた教会への服従ののちに、聖職者の後見から身を解き放つ俗人とは、だれよりもまず、そしてとりわけ貴族である。‥‥
読み書きのできない中世の貴族ないし騎士は、最後の審判と地獄を予想しては恐怖に駆られ、天国における席を聖職者から買い取るのに汲々としていた。‥‥ ブルジョワや職人や農民以前に、貴族が聖職者に搾取されていたのだ。
163頁
信仰の民主化を要求するには、前提として、住民の識字率が一定程度に達していることが必要となります。聖書を読めなければ、聖職者なしに神の教えに触れることはできませんから。
下の地図は、1480年前後に1台以上の印刷機が稼働していた州(県)を示しています。文字文化の普及の証です。ドイツの密度はフランスよりもイギリスよりも高い。ドイツ北部は「高い識字率」という「地上」の条件を満たしていました。
②天上成分
正統プロテスタンティズムの天上成分、「権威と不平等」(神の権威と人間の不平等)は、ドイツの家族システムである直系家族の価値観にピッタリ合致しています。
家族制度は、子供たちの父に対する関係と兄弟間の関係をコード化したものである。宗教的形而上学は、人間の神に対する関係と人間相互の関係についての言及である。しかし権威もしくは自由という価値、平等もしくは不平等という価値は、概念的には大きな困難を伴わずに、家族に関する次元から形而上的次元へと乗り移ることができる。父の権威主義(もしくは自由主義)は、神のそれとなり、兄弟間の不平等(もしくは平等)は人間間のそれとなる。
141頁
のちに識字率50%を超えた地域が、それぞれ自らの家族システムに合致した政治イデオロギーを選択したように、識字化したドイツの貴族たちは直系家族の価値観に見合った教義(予定説)を選んだ。このように考えることができるのです。
高い識字率が地上成分(権威への異議申立て)を可能にし、
直系家族システムが天上成分(予定説:権威と不平等)を作った
(3)対抗宗教改革—カトリックの再定義
直系家族と正反対の価値観を持つ家族システムは、平等主義核家族(自由・平等)です。
果たして、プロテスタントの攻勢に対してカトリックを守る対抗宗教改革の牙城となったのは、パリ盆地のフランス、北部および中部イタリア、スペイン。いずれも、平等主義核家族の地域だったのです。
「北部イタリアは神学者を提供する。北部フランスは、ユグノーに対して猛り狂った都市大衆を立ち上がらせる。スペインは軍隊を派遣し、ヨーロッパで最も発達した地帯の一つであるベルギーからラインラントまでの一帯で、宗教改革の拡大を軍事力を以て阻止するのである。」
150-152頁
これらの地域は、いずれも、当時としては文化的に発達した地域でした。したがって、地上成分に関していえば、聖職者の権威を退け、信仰の自由のために立ち上がっても決しておかしくはない。
しかし、「自由と平等」の基層の上に立つ彼らは、天上におけるルターの教義を受け入れることができません。
ローマとの心理的距離の近さも相まって、彼らはとりあえず聖職者の権威とは妥協を図ります。そして、対抗宗教改革の支柱として、カトリックを再定義していくのです。
○ | フランス北部、イタリア、スペイン | 正統カトリシズム |
---|---|---|
地上成分 | 高い識字率 | 聖職者と妥協 ・聖職者の権威を肯定 ・聖職身分と俗人身分の区別を認める |
天上成分 | 平等主義核家族 ・親子関係の自由 ・兄弟間の平等 | 自由と平等 ・洗礼を受けた全ての者は原罪から洗い浄められる(救済の機会平等) ・救済か劫罰かは本人の行いによる |
*カトリシズムの再定義
(地上)対抗宗教改革の中心地域の「妥協」の前提は、聖職者の資質の向上です。カトリシズムは、聖職者養成のシステムを整え、権威を担うに相応しい(清廉潔白で教養のある)聖職者を育てる努力を始めます。
他方で、俗人に対しては、聖書はもちろん、書物全般への接触を禁じる。教育の独占を通じて聖職者の権威を強化すること、それが対抗宗教改革の最大の目標でした。
(天上)ルターの予定説は聖アウグスティヌスも述べていたものであり、ルターの独自説というわけではありません。それだけに、カトリック側には難しい対応が迫られましたが、結局、トリエント公会議(1545-63)において、「神の恩寵も人間の意志もどちらも必要」という立場を明示して、「自由と平等」の方向性を明確にすることになりました。(上の表の説明もご覧ください)
○ | プロテスタント | カトリック |
---|---|---|
地上成分 | 自由と平等 ・聖職者の権威を否定。 ・「われわれは皆聖職者だ」 | 権威と不平等 ・聖職者の権威を肯定 ・聖職身分と俗人身分の区別を認める |
天上成分 | 権威と不平等 ・救済を決めるのは神 ・人間は救済される者と劫罰に処される者に分かれる | 自由と平等 ・洗礼を受けた全ての者は原罪から洗い浄められる(救済の機会平等) ・救済か劫罰かは本人の行いによる |
文化的に発展した地域の平等主義核家族がプロテスタントからカトリックを守る対抗宗教改革の牙城となった
宗教改革への反応(6類型)
さて、この辺まで来ると、ヨーロッパで、どういう条件の地域がどういう信仰を持つようになったかを、類型化して示すことができます(詳しい説明は次回)。
○プロテスタンティズムに適した成分
地上:高い識字率、ヴィッテンベルクとの相対的近距離
天上:直系家族(権威と不平等)
○カトリシズムに適した成分
地上:低い識字率、ローマとの相対的近距離
天上:平等主義核家族(自由と平等)
①ドイツ型(正統派プロテスタンティズム)
○ | 地上成分 | 天上成分 | 信仰 | 神の権威 |
---|---|---|---|---|
ドイツ | 識字率高 →聖職者の権威否定(自由と平等) | 直系家族 →予定説(権威と不平等) | 正統派プロテスタンティズム | 強 |
ドイツでは、識字率を高めた貴族階級が、聖職者からの自由を勝ち取り(地上)、自らの価値観(直系家族)に見合った教義として、「権威と不平等」の予定説を選びました(天上)。
なお、表に「神のイメージ」の項目を設けたのは、それが信仰の持続力(脱宗教化の容易性)と関係するためです。
家族システムと宗教システムの相関というトッドの仮説は、(家族における)父親のイメージが(信仰における)神のイメージに投影されると考えます。
父親の権威が強いところでは神も強い権威を担い、親子関係が自由主義的であるところでは、神もまた自由主義的で、その権威は弱い。
ドイツは、早期に識字率を上げた貴族が、おそらくカトリックの教えが彼らの好みに合わなかったことも関係して、どこよりも早く宗教改革を実現しました。
しかし、彼らは自ら、強い権威を持った神を戴き、その権威の下に従属する道を選んだ。そのために、ドイツは、脱キリスト教化においては遅れを取り、最終的な脱宗教化の過程で、深い心理的不安に陥るのです。
②スウェーデン型(正統派プロテスタンティズム)
○ | 地上成分 | 天上成分 | 信仰 | 神のイメージ |
---|---|---|---|---|
スウェーデン | 識字率低・ドイツ寄り →聖職者の権威否定(自由と平等) | 直系家族 →予定説(権威と不平等) | 正統派プロテスタンティズム | 強 |
なお、早期にプロテスタンティズムを受容した地域の中には、スウェーデンのように、ドイツへの心理的近距離、直系家族という要素を備えるが、識字率は高くなかった、という地域もあります。
しかし、「新しくて重い」(勢いのある?)キリスト教信仰を持つそれらの地域は、プロテスタンティズムに適合させるために自らを変えていきます。教育を普及させ、あっという間に識字先進国に変身するのです。
③フランス型(正統派カトリシズム)
○ | 地上成分 | 天上成分 | 信仰 | 神のイメージ |
---|---|---|---|---|
フランス北部 | 識字率高・ドイツに近い →聖職者との妥協 | 平等主義核家族 →自由と平等 | 正統派カトリシズム | 弱 |
フランス(パリ盆地のある北部)の場合、識字率は高く、地理的にはむしろヴィッテンベルクに近い。つまり、地上的条件においては、プロテスタンティズム(聖職者の権威の否定(自由と平等))に適しています。
しかし、平等主義核家族である彼らは、正統プロテスタンティズムが説く天上の「権威と不平等」に耐えられない。
そのため、彼らはカトリック陣営に残って対抗宗教改革の拠点となります。地上では聖職者の資質向上を条件に聖職者の権威と折り合い、天上での自由と平等を守る、正統派カトリックの担い手となるのです。
*トッドによると「教育のない放蕩者の人間的な中世の聖職者」の時代が終わり、「おそらくキリスト教の歴史で初めて、理想に合致した村の司祭、すなわち教育があり、かつ童貞の司祭が大量生産されることになる」(130-131頁)。つまり、カトリックは、現実の方を理論に近づけることで、「聖職者による独占」を守ろうとしたわけです。
しかし、ルター派への対抗上、熱心にカトリックを支持してはみたものの、彼らが戴く神のイメージは弱い。そのため、本格的な近代化局面に入ると、彼らは信仰そのものをあっけなく捨てていくことになります。
なお、文化的に発展していたにもかかわらずカトリック陣営に残ったこの地域は、発展途上であったにもかかわらずプロテスタントを受容したスウェーデン型と逆のコースを辿ります。識字率の上昇を抑え、文化の発展を抑制することによって、信者が聖書を読むことを嫌う正統カトリシズムの教義に自らを適合させていくのです。
④南イタリア型(正統派カトリシズム)
○ | 地上成分 | 天上成分 | 信仰 | 神のイメージ |
---|---|---|---|---|
南イタリア | 識字率低・ローマに近い →聖職者の権威を肯定 | 平等主義核家族 →自由と平等 | 正統派カトリシズム | 弱 |
なお、平等主義核家族地域のうち、識字率が低い地域(中部・南部スペイン、南イタリア)は、当然のように、カトリシズムを維持します。しかし、彼らにおいても神のイメージは弱いので、近代化の過程では、比較的簡単に信仰を手放します。
⑤イギリス(修正プロテスタンティズム〔急進的自由主義〕)
○ | 地上成分 | 天上成分 | 信仰 | 神のイメージ |
---|---|---|---|---|
イギリス | 識字率高・ローマから遠い →聖職者の権威否定(自由と平等) | 絶対核家族 (自由と非平等) →予定説を修正(アルミニウス説) | 修正 プロテスタンティズム(急進的自由主義) | 弱 |
識字率が高く、ローマとの心理的距離が遠い彼らは、プロテスタンティズムの伝播をまずは喜んで受け入れます。最初の時点では、「天上の自由と平等」すなわち聖職者への異議申立という要素が彼らを魅了するのです。
しかし、導入の局面が過ぎると、やがて、彼らの基層にある「自由」が、天上の「権威」に耐えられなくなる。そこで彼らは、ルター・カルヴァンの正統プロテスタンティズムの教義に修正を加え、自由意志による救済可能性(アルミニウス説)を導入します。
地上の「自由と平等」に天上の「自由」を組み合わせたこの急進的自由主義のキリスト教は、宗派の乱立を招き、宗教的寛容を実現した後、信仰を捨てていきますが、その際、とり立てて大きな心の不安を感じることはありません。
⑥アイルランド型(反動的カトリシズム)
○ | 地上成分 | 天上成分 | 信仰 | 神のイメージ |
---|---|---|---|---|
アイルランド | 識字率低 →聖職者への権威肯定(権威と不平等) | 直系家族 →非公式に教義を修正(権威と不平等) | 反動的カトリシズム | 強 |
こちらは、正統派プロテスタンティズムに適した天上的条件(直系家族システム)を持ちながら、地上的条件が満たされずにカトリックにとどまることとなったケースです。
彼らは聖職者への異議申立の機縁を持たず、ローマカトリック教会の下にとどまることになります。しかし、彼らの心の中の神は、対抗宗教改革を経て再定義された「自由と平等」の神ではなく、それ以前、いわば、ルターとカルヴァンが典拠としたところの聖アウグスティヌスの予定説における神に近い。
そのように心の中で教義を「修正」し、地上では聖職者の権威、天上では神の権威に従属する、中世のカトリシズム同様の反動的な信仰を持ち続けたのがこの地域です。
当然のことながら、この地域では、脱キリスト教化は遅れ、第二次世界大戦直後に至るまで強固な宗教実践を保ち続けることになります。
(続く)