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トッド入門講座

補講 気候と人類

さて、この2回の講義で、無事人類は狩猟採集を始め、世界史の教科書に載るところ、トッドの理論の守備範囲にまでたどり着きました。この先の人類史はトッドにお任せすることにして、最後に一つだけ補足です。

現在、私たちの大きな関心事である「気候」。
その気候と人類史の関係について、ごく基本的な知識を共有させて下さい。

現在の地球は、約260万年前(ホモ・ハビリスが登場する少し前でした)に始まった「第4氷河時代」の最中です。今はそれほど寒くないですが、それは氷期と氷期の間の間氷期(温暖期)だからです。

(氷期と間氷期)

第4氷河時代に入って以降、地球の気候は、約10万年周期で(長い氷期→短い間氷期)のサイクルを繰り返しています。

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今の間氷期がいつまで続くかは分かりません。過去80万年の気候の調査結果によると、この80万年の間には11回の間氷期があり、それぞれ1〜3万年持続したと見られています。

https://agupubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/2015RG000482

ちなみに、現在の間氷期が始まったのは、約1万2000年前なので、長さだけでいえば、明日終わっても、さらに2万年続いてもおかしくない、ということになります。いろいろなデータを総合した予測では、温室効果ガスの排出量が大幅に削減されない限り、あと5万年程度は続くのではないかと考えられているようです。

「温室効果ガスの排出量が大幅に削減されない限り、あと5万年程度は間氷期が続く」というところで、「ん?」と思った方がいらっしゃると思います。そうです。これは、言い方を変えると、「温室効果ガスの排出によって間氷期が伸びている可能性がある」ということです。さらに言い方を変えると、「温室効果ガスの排出がなかったら、もうとっくの昔に氷期が来ていたかもしれない」ということでもあるのです。William Ruddiman(古気候学者)という人は、アジアにおける水田農耕の普及とヨーロッパにおける大規模な森林破壊、つまり産業革命のはるか昔、約8000年前からの人類の活動が「長い間氷期」をもたらしていると主張し、「ラディマン仮説」として注目されています(ラディマンの説には批判も多いようなのですが、「温室効果ガスの排出量が大幅に削減されない限り‥‥」という議論が普通にされているところを見ると、人間の活動が間氷期を延長させているという議論自体は広範に受け容れられているように思えます)。人間を中心に考えると、温暖化を防ぐのがいいのか、よくないのか、まったく分からなくなりますが、きっと、「人間を中心に考えるな」ということなのでしょう。

(農耕の開始)

約1万2000年前。そうです。それは、農耕牧畜が始まり、磨製石器が作られ始めたとされる新石器革命の時期です。私の手元にある世界史の教科書(2017年版)には農耕の始まりは「約9000年前」と書かれていますが、より古い時代に遡る発見が各地で相次ぎ、現在では、遅くとも約12000〜11000年前(紀元前10000〜9000年頃)には麦類の栽培が始まっていたと考えられています。

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ところで、間氷期になると農耕が始まるのは、ただ「温暖だから」というわけではないようです。氷期から間氷期の変化とは、単に「寒冷→温暖」ではなく「寒冷で不安定→温暖で安定」への変化なのだそうです。来年も再来年も同じような気候が続くことが期待できる、ということが農耕の定着に不可欠な要件ですから、間氷期がもたらした気候の「安定」こそが、本格的な農耕の開始を可能にしたといえると思います(中川毅 『人類と気候の10万年史』(講談社ブルーバックス、2017年)第7章を大いに参考にしました)。

(都市文明の開始)

農耕の開始から数千年経った紀元前5000年紀頃から中国で集落の発達が確認され、紀元前3500年〜3000年頃までには、中国、メソポタミア、エジプトで都市国家が形成されますが、この背景にも、気候、というか、地学に関係する変化があったとされています。

間氷期に入って以降、地球上では、北半球の巨大氷床が融解を続けたために、海水面の上昇が続いていました。海水面が上昇するということは、海岸線の位置や河川の流れが変化し続けるということですから、人々は、生活に必要な「水」の近くに住みつつ、海岸線や河川の流れが変わるたびに洪水に見舞われ、移住を強いられていたと考えられます(下の絵はミケランジェロの『洪水』です)。しかし、その海水面の上昇は、約7000年前(紀元前5000年頃)に終わります。

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間氷期の開始により農耕が始まったことに加えて、海水面が安定し長期の定住が可能になったことが、都市文明の幕開けをもたらしたのです。

「トッド入門」の準備としては、ここまで来れば十分です。
次回はいよいよトッドの学問に入っていきたいと思います。

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文明以前の人類史(2・完)ー人間はどういう生物かー


前回、恐竜が絶滅して哺乳類の天下になったところで終わりましたので、本日はその続きです。

7 霊長類の祖先は誰?(9000万〜5500万年前)

かりに生物の興亡を神様の「実験」と考えると「大きさ」の可能性を試してみたのが恐竜のケースだという気がします。「大きすぎるのもダメか」と分かった神は、次に「社会性」(≒ 知性)の可能性を試してみようと思ったのかもしれません。

そんなわけで(?)、哺乳類の中から霊長類が生まれ、人類への進化の端緒が開かれます。9000万〜5500万年前のことです。

ところで、霊長類(サル目)から類人猿、ヒトへという流れは比較的よく知られていると思うのですが、そもそもの霊長類の祖先って誰なのでしょうか。人類をよりよく理解するためにぜひ知っておきたいポイントのように思い、調査してみました。

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ツパイ Stavenn @wikimedia commons

数ある哺乳類の種目の中で、霊長類に一番近いとされているのはヒヨケザル目(Dermoptera)やツパイ目(Scandentia)です。どちらも樹上で暮らすリス・ネズミ系統のルックスの動物で、この系統の初期の生物(約9000万年前)が霊長類の元になったと考えられています。

絶滅した初期の霊長類、プレシアダピス目の生物は下のような姿だったそうです。まさに「ツパイからサルに進化する途中」という感じですね。

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©︎N.Tamura @wikimedia commons

二日酔いの救世主? 「アルコール分3.8%の蜜」だけを食べる、酔わない動物 マレーシアの森林に棲む小さな哺乳類、ハネオツパイが餌にするヤシの花には、ライトビール並みのアルコール分が含まれている。驚く wired.jp

「人類の祖先」というと、槍をもってマンモスを狩る狩猟採集民を思い描く方が多いのではないかと思います。あるいは、森をあばれ回るチンパンジーとか(チンパンジーのオスはそれなりに獰猛です)。

しかし、その彼らの祖先は、小さく無防備な身体で、生き延びるために危機感知能力と社会性を高め(→危機意識を仲間と共有する)、樹上で葉っぱや花、果実や昆虫を食べる小型の動物だったのです。そう思うと、人類についても少し違う見方ができるような気がしませんか。

実際、初期の人類も、他の動物との関係ではどちらかといえば「食べられる」側だったようです。

8 直立二足歩行を始めた霊長類 ホミニン(約700万年前〜)

この領域では、研究の進展が日進月歩であるせいなのか、あるいは現生人類に関するトピックとして古い用語が人々の頭にこびりついてしまっているせいなのか分かりませんが、用語が今ひとつ定まっていません。

霊長類の中のサルと類人猿の系統の中から約3400万年前に類人猿のグループ(ヒト科)ができ、まずオランウータン系統(1700万〜1400万年前)、次にゴリラ系統(1000万〜700万年前)が分岐し、最後に700万〜600万年前頃のアフリカでチンパンジーとヒトが分化したとされています。

専門用語で説明すると、ヒト科(Hominidae)がオランウータン亜科(Ponginae)とヒト亜科(Homininae)に分かれ、ヒト亜科がゴリラ族(Gorillini)とヒト族(Hominini)に分かれ、そのヒト族がチンパンジー亜族(Panina)とヒト亜族(Hominina)に分かれ、ヒト亜族の下にやがてヒト属(Homo)(→人類です)が生まれるのですが、このヒト亜族の中のヒト属以外の生物をなんと呼ぶかが問題です(専門的には以下でご紹介するような「アウストラロピテクス属」「サヘラントロプス属」‥‥といったものたちなのですが、それを総称したい場合にどうするか、ということです)。

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日本語のイメージとしては「猿人」に近いと思うのですが、「ヒト亜族」の概念に「猿」の要素は含まれていません。また、「猿人」のラテン語バージョンである「ピテカントロプス(Pithecanthropus)」(Pithecos(猿)+Anthoropos (人)の造語) という語がかつてホモ・エレクトゥスなどの人類(ヒト属)を表すのに使われていたというややこしさもあります。

そういうわけで、ここではラテン語の「Hominina」の簡易版として「ホミニン」という言葉を用います。

ヒト属も「Hominina」に含まれるので、正確には「ヒト属以外のホミニン」ですが、それを略して「ホミニン」とします。以下、「ホミニン」という場合は、ヒト亜科ヒト亜族の中のヒト属以外の生物、とご理解ください。

また、ここでは「人類」という言葉は、ヒト亜科ヒト亜族の中のヒト属だけに用いることとします。

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・ ・ ・

ところで、身体に対して脳が大きいことは霊長類の特徴の一つですが、ホミニンと他の霊長類を分けるのは脳の大きさではありません。直立二足歩行です。

ホミニンの脳の容量は300〜500mlくらいで、ゴリラやチンパンジーと変わりません。彼らはまだ腕が長く、手や足は木登りに適した形をしていましたが、効率的ではないけれど、直立二足歩行が可能な骨格を持っていたのです。

ホミニンは、普段は樹の上で暮らし、開けた土地を移動するときなどに、一時的に直立二足歩行をしていたものと考えられています。

9 人類への進化(約250万年前〜)

不完全な二足歩行の状態を脱し、完全な直立歩行に適した身体と大きな脳を持つようになったホミニン、それがヒト属(ホモ属)です。

今のところもっとも古い人類とされているホモ・ハビリス(250万年前)は、形態は後期のアウストラロピテクス属によく似ていましたが、脳が大きく(700ml)、石器を使っていた跡があることからヒト属に分類されました。190万年前の化石が見つかっているホモ・ルドルフェンシスもよく似たタイプの人類です。

初期人類はなぜ二足歩行を始めたのか。この背景にも、気候の変動があるようです。現在の地球は、氷河時代(第4期氷河時代)の間氷期にありますが、この第4期氷河時代が始まったのが約258万年前、ちょうどホモ・ハビリスが登場したとされる頃なのです。

氷河時代が始まり北半球に氷河ができ始めるとその影響でアフリカでは乾燥化が進みます(そうらしいです。どういう仕組みか私には今のところわかりません。ご存じの方は教えて下さい)。豊かな森に覆われていたアフリカ大陸で、森が減少し、草原(サバンナ)が増えていくのです。

ホミニンは主に樹上で暮らし、開けた土地を移動するときだけ二足歩行をしていましたが、樹は減り「開けた土地」の方が増えてきました。この環境への適応として、人類は、完全な直立二足歩行を行うことになったと考えられます。

約190万年前、見渡す限り草原が多い尽くすようになった頃、現生人類(ホモ・サピエンス)により近い人類が現れます。ホモ・エルガステルです。

◉ これも「聞いたことがない」という方が多いと思います。先日亡くなった人類学者リチャード・リーキー(Richard Leakey)が発掘した全身骨格「Tulkana boy」がちょっと有名です(下の写真は骨格からの復元図。いろいろな復元図像が作られていますが、『人類史マップ』(日経ナショナル・ジオグラフィック社、2021年)33頁の復元像(エリザベト・デイネ制作)がとても素敵です)。ホモ・エレクトゥスと共通の特徴を多く持つ彼らはホモ・エレクトゥスの一種とされることもあり、独立した種類として扱うかどうかには議論があるようです。大事なのは、主にアジアで見つかっていたホモ・エレクトゥス(北京原人、ジャワ原人など)とよく似た人類が、より早い時期に、アフリカに登場していたという点です。ホモ・エルガステルを独立の種類と認めるかはともかく、約190万年前のアフリカに彼らが暮らしており、彼らこそがホモ・エレクトゥス、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・サピエンス(現生人類)の共通の祖先になったという事実は、概ね受け入れられているようです。

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By Cicero Moraes – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24806426

ホモ・エルガステル(「働くヒト」の意)は、比較的高い身長と細身の体で、直立二足歩行に適した骨格を持っていました。彼らは複雑な社会集団を作って暮らし、かつては木に登り枝から枝へ移動するために使っていた手で道具を作って働き、すでに肉を食べていたことが知られています。

長距離を歩くことができた彼らは、アフリカを出た最初の人類とされています。190万年前以降、アフリカからコーカサス、中東、南アジア、アジア、ヨーロッパと数万年から数十万年という長い時間をかけて、その生息地を拡大していきました。

生息地が広がると、地方ごとに変異体が生じます。その結果、ホモ・エレクトゥス、ホモ・アンテセッサー(ホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスの共通祖先と考えられているホモ属)、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・サピエンスといった多様な人類が生まれていくのです。

10「人間らしさ」への道(約7万年前〜)

ホモ・ネアンデルターレンシス(約35万年前〜)がまだ生きていた約20万年前、アフリカにホモ・サピエンス(現生人類)が現れます。

なお、この時期あるいはこれ以降に生息していたことが確認されている人類には、ホモ・ネアンデルターレンシスのほか、ホモ・フロレシエンシス(身長1mと小型のため「ホビット」という愛称で呼ばれている)、デニソワ人(シベリアで化石が発掘。ホモ・アンテセッサーを祖先とすると考えられる人類だが、ホモ・ネアンデルターレンシスとの近縁性から「新種」認定の要否には議論があるもよう)などがいて、デニソワ人、ホモ・ネアンデルターレンシスについてはホモ・サピエンスとの交配もあったとされています。

こうしたことからも推察されるように、ホモ・サピエンスは「誕生当初から画期的な人類だった!」というわけではないのです。脳の容量も後期のホモ・エルガステルやホモ・ネアンデルターレンシスと大きく違うわけではないですし(ネアンデルターレンシスはほぼ同等です)、道具や火の使用も双方に認められています。ホモ・ネアンデルターレンシスは、少なくとも形態学的には、言語を発する能力があったそうです。

平凡な人類として生まれたホモ・サピエンスが、狩猟を始め、言語を操り、「人間らしさ」を発揮するようになったのはなぜか。その背景には、またしても、気候の変化があったもようです。

20万年前にアフリカに登場したホモ・サピエンスは世界各地に拡散しますが、間氷期を挟んだ氷期の繰り返しで、順調に数を増やすには至りません(氷期に減り、間氷期に持ち直すの繰り返しであったと考えられます)。

そうこうするうちに、トバ山の噴火(インドネシア・スマトラ島)という大事件が起きるのです(7万5000年〜7万年前)。人類史上最大であったと考えられているこの噴火により、地球は「火山の冬」に突入(地球の平均気温を5℃下げる劇的な寒冷化が6000年間続いたとされる)、その後も断続的に気温が低下して最終氷期を迎えます(現在の間氷期の直前の氷期です)。

◉ ただし、トバ山噴火の気候への影響については議論百出です(検索してみてください)。地域差が大きく大して影響を受けなかった地域もあったとか、寒冷化はせいぜい100年程度だったとか、「火山の冬」の影響を相対化する立場も力をましているようです。

リンクは2018年のナショナル・ジオグラフィックhttps://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031400115/

この間にホモ・エルガステルやホモ・エレクトゥスは絶滅、ホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・サピエンスも大幅に数を減らします。絶滅寸前まで行ったと考える研究者もいます。

狩猟が始まり、私たちが「人間らしい」と感じる文化が花開くのは、ざっくり言ってこの直後なのです。

先ほど、ホモ・エルガステルは「すでに肉を食べていた」と書きました。人類は早くから鳥や小型の動物を取って食べたり、大型の肉食獣が残した肉を食べたりはしていました。しかし、効率的な石器を作る知恵と技術、組織力(チームワーク)を身につけ、大型の動物を仕留めて食べるようになったのは、人類の誕生からは200万年以上、ホモ・サピエンスの登場からでも十数万年経った後、超巨大噴火による(程度はともかく)急激な気象の変化を経験したその直後のことだったようなのです。

石器製作技術を高度化させ、尖頭器やナイフ、槍などを用いた狩猟生活を始めた人類は、同時に、鳥の羽や貝で作った装飾品、ボディペイントで身を装い、動物や人の彫刻を掘り、洞窟の壁に絵を描くことを始めます。証拠を見つけるのは困難ですが、言葉を話し始めたのもこの頃だと考える人が多いようです。仲間の遺体を丁寧に埋葬し死を弔うという習慣もこの頃にはじまりました。

ただし、こうした「人間らしい」文化を享受していたのは、どうやら、ホモ・サピエンスだけではありません。同じ頃(およびそれ以降)、ホモ・ネアンデルターレンシスも、装飾を身につけ、ボディペイントをし、洞窟に絵を描き、死者を弔っていたことが、洞窟などの遺跡資料からわかっています。この点からも、ホモ・サピエンスが種として特別だったわけではないことがわかります。7万年前、地球上には多様な人類がいて、人間らしい暮らしを始めていたのです。

◉ ホモ・ネアンデルターレンシスが絶滅し、ホモ・サピエンスが残ったのはなぜかについてもいろいろな議論がありますが、私はそれほど関心を持っていません。何というか、今後、現生人類の中から「結構違う」個体が現れ、数を増やしたとしても、私たちはその人たちを「ホモ・サピエンス」から外すことはしないのではないでしょうか(どうでしょう)。そう考えると、ホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人が違う種類とされているのも「たまたま」という感じがして、身を飾り死者を弔い、相互に交流もあった間柄なら「「みんな現生人類の祖先」でよくない?」と思ってしまうのです。

11 人間はどういう生物か

(1) 「人間らしさ」 は突然に

ここまで、概ね、専門家の間で共有されている(らしい)事実をご紹介してきましたが、ここから先は、私が勝手に立てた仮説です。

「人間ってどういう生物なんだ?」と疑問に思い、地球の誕生から勉強して7万年前まで来たとき、私は「なるほど、そうか‥‥」とうなっていました。

霊長類から人類が生まれ、現在の人間社会に至る流れは、一般的には、脳の機能を基礎とした漸進的な進歩の過程として理解されていると思います。直立歩行で脳を大きくした霊長類が人類となり、知恵と工夫で少しずつ社会を改良し、現在のような人間社会を築きました、という感じで。

でも、なんか、違いますよね?
ちょっと整理します。

初期の霊長類(ツパイとかです)は、捕食者として食物連鎖の上位に立つにはおよそ不向きな身体を持ちながら、危機意識を増強させ、社会性を高めることで、捕食者から逃れて生き延びました。色覚が豊かであること、脳が比較的大きいことが、霊長類の特徴とされますが、前者は森の中で食物となる昆虫や木の実を探すため、後者は、おそらく、危機対応能力と社会性の向上のために発達したものです。

ホミニンは初期霊長類と比べると身体が大きいですが、基本的な行動様式はあまり変わりません。樹上生活を基本とし、危機意識の強さと社会性で捕食を免れ(それでもときにはヒョウなどのネコ科動物に食べられたりしながら)、昆虫や木の実を食べて暮らしていたのです。

初期人類は、環境の変化によって樹から下りることを強いられ、長距離を移動するようになります。木の実はそこらへんにありませんので、とりあえず何でも食べなければならなくなるでしょう。移動生活の中で食物と寝る場所を確保し捕食を免れ、かつ子供を生み育てて生き延びていくためには、ある程度の規模の集団を作り、組織化された社会生活を行うことが必要になるでしょう。

しかし、初期人類に見られる組織化の進行が、すぐに文化の発達をもたらすわけではありません。初期人類はもうある程度の大きさの脳を持っているのですが、それでも180万年以上の間、基本的に同じレベルの生活を続けます。人類は、大きな気候変動によって生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれた後になって、突然「人間らしく」進化するのです。

(2)人類に何が起きたのか?ー 「社会」 をまとった人類

人類は、約7万年前、高度な道具を作り、大規模で組織的な狩猟を行い、羽飾りをつけ、死者を弔うようになりました。私は、ここが人類の歴史の最大の転換点だと思います。

かつて、道具の使用が人類の指標とされていたことがありました。しかし、いまでは、チンパンジーやゴリラも道具を使うことが知られています。それに、例えばカラスとか犬とかが棒を使ったとしても、それほど違和感はありません(よね?)。「かしこい!」というだけです。

しかし、カラスや犬が、身なりを気にし始めたり、仲間の死を弔ったりし始めたら、大ごとではないでしょうか。このとき人類に起きたのは、そのような「大ごと」なのです。

いったい何が起きたのか。

私が感じるのは、人類は、このとき、本拠地を、自然界から「人間社会」に移した、あるいは少なくともその準備を始めた、ということです。

人間は、単に外敵から身を守り食物を得て子どもを育てるために集団生活をするというレベルを超え(このような生活はほかの動物たちにも見られます)、自然界と個人(人間個体)の間に「社会」という観念的な構造物を作り上げ、そこを本拠地として生きることを始めたのではないでしょうか。おそらく、過酷な自然環境の中でも、種の存続を確実なものとするために。

人間にとっての「社会」は、おそらく、カタツムリにとっての「殻」と同じです。人間と人間を観念の糸でつないで複雑な構造体を作り、「社会という構造体の維持=人類の自然界での生存」という図式を各個体に内面化させる。このようなやり方で、自然界を生き延びるようになった生物、それが人類なのではないか。

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これより前、人類の関心事は、他の動物と同様、「生きること」それだけであったはずです。別に意識はしていないでしょうが、場所はもちろん、本拠地である自然界、宇宙です。しかし「社会」への移住の後、人類の主な関心事は、(自然界で)「生きること」から、「社会をどう維持するか」「社会の中でどう生きるか」に変わったのです。

(3)フィクションの中で生きる

もちろん「社会」は人間の頭の中にしかありません。フィクションです。
しかし、そのフィクションがどれほどよく機能するかを、当事者である私たちは、誰よりもよく知っています。

人間が複雑な脳機能を持つようになったのは、フィクションを現実に成り立たせることで生き延びるという、ややこしい生存戦略を採用したためだと思われます。

社会は人間の脳が人間のために作り出した新しい世界です。
そこには、自然界には存在しない「正邪の基準」があります。

狩猟動物は人類の生存に役立つ「聖なる犠牲」となり、人間の死はあってはならない忌まわしいできごとになります。

社会の維持がすべての構成員の義務となり、守るべき規範が生まれます。
社会の中に地位を確保すること、できればよりよい地位に立つことが構成員の願いとなり、自他を比較し、評価する目線を持つようになります。

こうして、人間は、洞窟に動物の絵を描き、仲間の死を悼み、装飾品を身につけるようになったのだと思います。

「社会」の構築が、優れた生存戦略であったことは、その後の人類の繁栄を見れば明らかでしょう。

当初、広大な宇宙の中の小さな繭、柔らかいシェルターのようなものにすぎなかったであろう「社会」は、どんどん複雑に作り込まれて強度と規模を増し、人間にとっては「世界」と同義になりました。

現代の私たちにとって、自然界は完全に「外部」、むしろ非現実的な場所になりました。日々の生活の中で、ヒョウに食べられる心配をすることは決してありませんし、凍死を心配することもない。

人間の生存に都合のよい場所として「社会」を作り込むことによって、人間は、社会のことだけを考えていれば、生きていけるようになったのです。

しかし、神様としては、「うわ、またやりすぎた」という感じかもしれません。人間にとっての社会適合性(≒脳の複雑な機能)は恐竜にとっての「大きさ」です。恐竜が大きくなりすぎて絶滅したように、人間は、社会というフィクションに適合しすぎることによって絶滅するのだと私は思います。

(4)脳機能の使用はそれほど「自由」ではない

この仮説において、ポイントとなる事実の一つは、その「人間らしさ」は人間が主体的に選んだものではない、進化の産物だということです。

人類は、集団としての生存を賭けて、遺伝子の改変を伴いつつ、極めて特殊な形態の「人間らしい」生活を送る生き物として進化しました。人間は、おそらく、自らの創意工夫ではなく、知らないうちに起きた進化によって、いつの間にかそんな暮らしをしていたのです。

繰り返しますが、人類という野生動物種にとって、社会とは、自然界を生き延びるために必須の装置、カタツムリにとっての殻です。

人間の脳機能が、「社会」というフィクションの中で生きることを可能にするために、天に賦与されたものだとしたら、人間にとって、脳機能(理性や感情)の使用は、それほど「自由」ではない、と考えるのが自然でしょう。

理性にせよ、感情にせよ、それらの機能は、社会を成り立たせるという目的にとって都合よく働くように作られていると考えるのが自然です。

そして、人間の意思活動のうち、「社会」の構築そのものに関わるもっとも基礎的な部分は、人間の意識の奥深く、通常は意識されない部分に隠されているに違いありません。

人類の社会にみられる諸問題、例えば、戦争、殺戮、差別などの問題は、その無意識の部分に、深く関わっていることでしょう。

エマニュエル・トッドが、このような人間観を持っているのかどうか、私は知りません。しかし、「人類ってどういう生き物なんだろうか」と考え、このような仮説を抱くようになった私の目に、トッドの理論は、こうした人間の心の仕組みの一部を解明するもののように見えるのです(うまくまとめすぎでしょうか‥‥)。

(おわり)

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文明以前の人類史(1)ー地球が生まれ、恐竜が絶滅するまで

はじめに:2022年の常識

この講座の目的は、タイトル通りに真実を知りたい方々、そして「戦略の練り直し?面白そう!」という能天気な方々に、自分なりに真実を探り、戦略を練り直すのに役立つ「道具」として、エマニュエル・トッドの理論をお伝えすることにあります。

開講の準備のために、トッドの理論を一通り復習した後、私はなぜか、地球誕生から、生命が生まれ、人類が狩猟を始めるまでの歴史を勉強していました。

たぶん、理由は二つあったと思います。

一つは、人間社会の仕組みを解明するトッドの理論を学んだ結果、「人間ってどういう生物種なんだろうか?」と考えるようになったこと。

もう一つは、「戦略の練り直し」にあたって、トッドの理論の射程外の事柄も知りたくなったことです。

トッドは、2000年期後半に起きた「近代化」という事件のメカニズムの解明によって、社会と人間に関する理論を打ち立てましたが、彼の理論の射程には、後期旧石器時代以降の数万年分の人類の歴史が収められています。

しかし、2000年代に入って20年以上が過ぎ、20世紀末から引きずった問題群に、パンデミックやら気候変動やらがつけ加わっていく様子を見るにつけ、

「この先の戦略を練るには、後期旧石器時代からの歴史でもちょっと短いんじゃないか」

という気がしてきたのです。

そう思って調査してみると、20世紀後半の自然科学は、地球の誕生から人類史の始まりまでに何があったのかを「そんなに?!」という程度に明らかにしていました。

解明されたのが最近すぎて、まだ一般常識に書き込まれていないのがもったいない。非常に根源的な事実たちです。

人類の社会に関するトッドの理論、地球、気候、生命の歴史、これらは、21世紀中盤を生きていく人々に向けた「社会科」の教科書にもれなく記載されるべきものだと、私は思いました。

というわけで、地球が生まれて、私たちの先祖が「人間らしい」人類になるまでの歴史、2回シリーズの第1回です。

(番外編に関する注意事項)
・教科書口調で断定的に書いてある部分がありますが、全て複数ある仮説の中の一つです。
・なるべく通説やそれに準じるスタンダードな説に準拠するよう努めましたが、同時に、新しい発見や学説で説得力があると専門家が見ている(らしい)ものがある場合には、なるべくそれを取り上げるよう心がけました。
・年代(約○年前、とか)については、現状でもどの辺が通説か分からないくらい各種文献に幅があるケースが多く、新しい発見によってつねに書き換えられている事項でもありますので、そのようなものとご理解ください。
・教科書的な書籍のほか、日本語版、英語版wikipediaを大いに活用しました(とくに日本語版のwikiは項目による信頼度の差が激しいですが、自分なりに評価をした上で利用しました)。
・新しい学説はなるべく出典がわかるようにしています。純粋に読者の便宜のためなので孫引きご容赦ください(目を通していない文献には(未)と記載します)。

1 地球が生まれ、月が道連れになる(46億年前)

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地球はずっと存在していたわけではありません(当たり前ですか?)。宇宙の中である特定の時期に生まれ、生まれた年代まで分かっているそうです。

宇宙には空気のような気体(ガス)や細かい塵(ダスト)が大量に漂っている場所があるそうです。約46億年前146億という数字ですが、私は住宅価格を手がかりにすると何とか想像できます。地方都市の建売住宅が3000万円、都内の高級マンションが1億、超高級マンション10億、ニューヨークの超高級マンションは100〜200億円。人類の全文明史は5500円です(笑)。そのような場所の一つで、ガスやダストの密度が高まり、まず太陽が形成されます。その同じ勢いで、周囲を回るガスやダストがさらに集まってまとまり、太陽系の惑星(現在の惑星の定義では、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星の8個)になりました。地球は太陽や他の惑星たちと同時に生まれたわけですね。

惑星が形成されるまでには、出来立ての原始惑星同士が衝突を繰り返しながら成長していく過程があります。地球の場合、10個程度の原始惑星が衝突を繰り返してできたと考えられているそうです。その最後の衝突のときに、月が生まれました。

最後に衝突した惑星をギリシャ神話の女神の名をとってTheia(テイア)と呼びます(視覚・光の女神とか)。Theiaが地球に衝突したとき、当時マグマの海であった地球の表面と壊れたTheiaの一部が弾け飛び、地球の軌道上で一つにまとまって月になりました。

Theiaの衝突と月の誕生は、現在の地球環境を決定づけたキーイベントの一つといえます。すごく重要なのです(当たり前でしょうか)。

まず、地球誕生当時、一日の長さ(自転周期)は3〜6時間程度と大変短かったのですが、月の引力によって引き伸ばされた結果、現在の24時間になりました。

もう一つ、地球の地軸は公転軸(太陽)に対して約23.4度傾いていますが(たしかに地球儀は何かちょっと斜めについてますね!)、この傾きも月が衝突したときに生じたといわれているのです。

地軸の傾きは、気候の変化と大きく関わっています。

まず、季節があるのは地軸の傾きのおかげです。地球のてっぺん(北極点)が太陽の側を向いているときが北半球の夏(南半球の冬)、太陽の反対側を向いているときが北半球の冬(南半球の夏)です(ぜひこちら(↓)をご覧ください)。

https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/earth/earth05.html (国立科学博物館 ウェブサイト)

さらに、地軸の向きと傾きの変化は、公転軌道の離心率の変化*と相まって、長期の周期的な気候変動をもたらすことにもなったのです(発見したセルビア人科学者の名前を取って「ミランコビッチ・サイクル」と呼ばれます)。

長期の気候変動が、生物の誕生や進化、人類が生まれた後は人類の歴史に、どれほど大きく関わっているかは、次項以降で(断片的にですが)紹介します。

でも、何ていうんでしょうか、とにかく、バクテリアが宇宙の一部であるなら当然人類も宇宙の一部なので、気候や地形の変化と人類などの生命の帰趨は一体なんだな、と私は感じます。

***

話は戻りますが、太陽や地球が生まれたときにすでに存在していて、太陽や地球の材料になった「ガスやダスト」というものは一体どこから来たのか、というと、それらは、寿命を終えた星が崩壊して溶け出したり、爆発したりした後に残った残骸なのだそうです。

宇宙では太陽や地球のような星や惑星系そのものが、何十億年という単位で、消えたりできたりを繰り返しています。50億年という気の遠くなる期間の後だとしても、地球もいずれ太陽と一緒に寿命を終え、次に生まれる他の星の材料になるということは、ほぼ間違いのない事実といえると思います。

🔹「46億年」の計算方法

ところで、いったいなぜ「46億年前」なんてことが分かるのでしょうか。過去の事象についてかなりの精度で年代を推定する手法が確立されたことが、20世紀後半のブレイクスルーをもたらした大きな要素なので、二つの主要な方法を(ごく簡単に!)ご紹介したいと思います(関心のない方は遠慮なく飛ばしてください)。

①放射年代測定 

物質の元素の中には、一定の速度で放射線を出しながら崩壊していく性質を持つものがあるそうです(放射性元素)。これをストップウォッチ代わりにすることで、物質が形成された年代を測定するのが放射年代測定という手法です。

例えばウランの一種であるウラン238は、放射線を出しながら崩壊して最終的に鉛となって安定します。要するに少しずつ鉛に変わっていくのですが、ウラン238の場合、半分が崩壊して鉛になるまでの時間(半減期)は44億6800万年であると分かっています。したがって、ウラン238が含まれている鉱物に関しては、その崩壊の程度を測定すれば、鉱物が結晶化してからどれだけの時間が経過しているかが分かるのです。

この手法は鉱物だけでなく、生物の化石に含まれる炭素(炭素14の半減期は5730年)にも使うことができ、生物の年代測定に役立てられているそうです。

②分子時計

放射年代測定が元素の変化を時計として利用し、鉱物や化石の年代を測定するのに対し、分子時計は、生物の分子構造の変化を時計(ストップウォッチ)として利用することで、生物種の誕生(進化)の年代や特定のイベントからの経過時間を測定します。

例えば、生物のDNAは複製の際に起こる突然変異によって変化していきますが、突然変異の発生頻度は概ね一定であると考えられています。変異の発生頻度を測定することで、進化の系譜を明らかにしたり(相違点が少ないほど類縁度が高く多いほど類縁度が低いことを示します)、分岐にかかった時間を算出したりすることができるわけです。

この後、生命の誕生、進化の過程の一部、人類の誕生などについて、その時期とともにご紹介していきますが、それらを明らかにする過程でも、放射年代測定や分子時計の手法が用いられています。

2 生命が生まれ、最初の「大進化」を遂げる(約39億年前〜20億年前)

地球で確認された生命の痕跡のうち、現段階で最も古いものとされるのは、海中の微生物(バクテリア(=細菌))の一種で、約39.5億年前のものだそうです。地球誕生から6億年余りで生命が誕生したことになります。しかし、目立った進化はなかなか始まりません。しばらくの間(というのは、20億年くらいです)地球上の生物は海を漂う細菌状の生物(原核生物)だけという状態が続きました。

画像3
シアノバクテリア(NEON ja @wikimedia commo
ns)

初めての大きな変化は、約20億年前に起こります。真核生物(核を持ち、細胞の中にミトコンドリアや葉緑体などの器官を持つ生物)の発生です。ミトコンドリアや葉緑体はそれぞれ元は単体の生物だったそうで、原核生物同士がくっついたり、機能を分化させて共生関係を築いたりすることで、真核生物への進化が起こったということらしいです。

なぜ20億年前にこのような進化が起きたのか。

ほぼ争いがないのは、約24億年前に地球上の酸素濃度が急上昇した事件(「大酸化イベント(Great Oxydation Event, GOE)」)と関係があるという点です。これにより地球上の環境が激変し、環境の変化に適合した進化(変異)が生じたと。しかし、その酸素濃度の上昇がどのようなメカニズムで起きたのかについては、議論があるようです。

なぜ急に酸素が増えたかなんて、超大事なポイントじゃないか!
と私は思うので、ちょっと深入りさせていただきます。

一般向けの解説書などでよく見られる説明は、生物自身の光合成によって酸素が蓄積した、というものです。初期のバクテリアは光合成の能力を持ちませんが、砂岩に付着した痕跡から、約35億年前には光合成を行う種(シアノバクテリア(上の写真))が発生していたそうです。彼らが地道に酸素を放出し続けた結果、酸素が蓄積して大酸化イベントにつながったと。

私が最初に読んだのがこのタイプの説明で「なんて地道なんだ・・」と感動したのですが、もう少し調べてみると、これだけで説明するのはちょっと無理があるようです。

シアノバクテリアたちの光合成が関わっていることは間違いありません。しかし、シアノバクテリアが発生したとされる35億年前からGOEが起きるまでの15億年の間、大気中の酸素濃度はほとんど増えていないことが、調査の結果分かっているそうなのです。なぜ酸素濃度の上昇が15億年後になってようやく起きたのか。この点はたしかに説明が必要です。

二つの仮説を紹介します。

①プレート運動仮説

プレートテクトニクスという言葉を聞いたことがあるでしょうか。地球の表面は何枚か(現在は15)の岩盤(プレート)で構成されており、このプレートの動きによって大陸の離合集散や地震などが発生するという考えが、現在の地球科学の主流になっています。第一の仮説は、プレート運動によって地球表面の素材が変わったことに理由を求めます。

光合成生物が生まれた35億年前、地球の表面は苦鉄質岩という鉱物で覆われていました。この鉱物は酸素を取り込む性質を持つため、シアノバクテリアが放出した酸素は苦鉄質岩に取り込まれてしまっていた。

しかし25億年前に始まったプレート運動により、地球表面の物質が酸素を取り込まないタイプの花崗岩などに変わります。これによって、光合成による酸素が大気中に蓄積するようになり、20億年前に一気に濃度が上昇したのではないか。というのがこの仮説です。

https://univ-journal.jp/7294/
私は 横山祐典『地球46億年気候大変動』(講談社ブルーバックス 2018年)で読みました。

②スノーボール・アース仮説

地球の気候に氷河時代と呼ばれる寒冷な時期があることはよく知られていますが(ちなみに現在は第4氷河時代の中の間氷期(温暖期)です)、その極致として、地球全体が完全に凍ってしまったことが、過去に少なくとも3回あったと考えられているそうです。

地球初の「全球凍結(Snowball Earth)」が起きたとされているのが、約22億2000万年前。大酸化イベントと近い時期なのです。順序およびメカニズムについては複数の考え方があり、A、Bの双方が主張されています。

A 全球凍結終了→大酸化イベント→真核生物誕生
B 大酸化イベント→全球凍結→全球凍結終了→真核生物誕生

ともかく、全球凍結が引き起こした環境の激変を重視するのが、この仮説です。
https://www.pnas.org/content/117/24/13314
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2015/13.html

①と②の仮説は必ずしも相互に矛盾するわけではありませんし、どちらが妥当かを検討するのはこの講義の目的ではありません。

これらの仮説が示しているのは、生物の進化には、地球のプレートの動きや気候変動による環境の変化が大きく関わっているのだということです。私たちとしては、この点だけを確認して、先に進みましょう。

3 多細胞生物の登場(約10億年前)

①原核生物→真核生物 
②単細胞動物→多細胞生物
③無脊椎動物→脊椎動物

生物の進化のうち、「大進化」と呼ばれて重要視されているのが、①から③の3つです。

先ほど(20億年前)真核生物が誕生しましたが(①)、彼らはまだ単細胞でした。10億年前になり、生物の多細胞化(≒複雑化)が起こります。

「カンブリア大爆発」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。その名も「顕生代」(「生命が現れた時代」の意)の始まりであるカンブリア紀(5億4100万年前〜)に生物が爆発的に多様化したことを指す言葉です。この時期に「大爆発」といえる現象があって、現在生息している動物のグループがほぼ出揃ったのだ、という学説としてよく知られています。

カンブリア紀に「大爆発」といってよい現象があったことは事実のようです。しかし、現在ではより研究が進み、多様化の過程はそれ以前から始まっていたことがわかっています。

下のジオラマは、エディアカラ生物群と言われる化石群を模したものです。1946年にオーストラリアのエディアカラ丘陵で発見されました。この化石群の生物たちはおもしろくて、ふわふわしたパンケーキのような生物や、ミミズのようなくねくねした生物など(すべて水中生物です)、何ともいえない不思議な形のものばかりでした。しかも、非常に多様だったのです。

画像4

これは「カンブリア以前」の生物相を明らかにする重要な発見でした。カンブリア紀の生物の化石は、非常に多様で、よく保存されていましたが、謎というか、おかしな点が一つありました。甲羅や殻、しっかりした骨格などを持った「硬い」生き物ばかりだったのです。

画像5

生物の多様化がいきなり殻を持った生物から始まるとは、考えにくいですね。カンブリア紀の生物のように甲羅や殻や骨格を持つということは、化石として保存されやすいということですから、その前には柔らかい、保存されにくい生物がいたのではないか。

そのやわらかい生物たちを保存していたのがエディアカラ生物群でした。エディアカラの岩石層での発見以降、世界のさまざまな場所で同時期のやわらかい生物たちの化石が見つかり、真核生物からカンブリア紀までの空白が埋められたのです。

そういうわけで、現在では、次のように考えるのがスタンダードになりました。

「約10億年前に生物の多細胞化が始まり、エディアカラ紀には多様な無脊椎動物(やわらかい動物です)が生まれていた。しかし、そのほとんどはエディアカラ紀の終わりに絶滅し、カンブリア大爆発を迎えた。」

4 「捕食」のはじまり

それはそれとして、カンブリア紀(5億4100万年前〜)に「爆発的進化」が起きたことは事実です。この進化は何によってもたらされたのでしょうか。

最近まで、この時期の爆発的進化の原因も、酸素濃度の上昇であると考えられていたようです。この少し前(7億年前と6.5億年前の2回)に起きたとされる「全球凍結」との関連性も指摘されています。ただ、海底堆積物を調査したところ、そのときに起きた酸素濃度上昇の規模はさほど大きいものではなかったらしい、ということで、新たな仮説が提唱されるようになりました。

捕食(肉食)開始説です。

「捕食」ってちょっと分かりにくいですが、要するに、 生物の中に他の生物を食べる輩が現れた、ということです。

この説によると、エディアカラ紀からの流れはこうなります。

「エディアカラ紀の終わり頃、生物の中から他の動物を食べる捕食者が現れ、やわらかい生物たちは食べられて絶滅した。危機的状況の中で生物の爆発的進化が起こり、甲や殻、骨格を持つよう進化した者たちが生き延びた。」

酸素濃度の上昇は、この説にとっても意味を持ちます。

現代の海でも、酸素の少ない海域には、エディアカラ紀と同様、動かずにただ浮遊し、微生物を食べて生活する生物しかいないのだそうです。それが、酸素濃度が一定量を超えた海域では、活発に動く生物が中心になり、他の動物を食べる捕食者も登場するらしい。カンブリア爆発直前の時期に起きた酸素濃度の上昇がごくわずかであったとしても、それによって捕食者が現れ、進化が大きく促進されることは十分に考えられるのです。

https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v13/n5/カンブリア爆発の「火種」/74330

なお、ここまでに出てきた生物たちは全員、まだ海の中で生息しています。カンブリア紀に入った後もです。動物の中で初めて陸上に出たのは、ヤスデに似たルックスの節足動物で、約5億3000万年前のことだったそうです。

私の読んだ文献の中には、彼が海を出た理由を述べるものはありませんでしたが、「捕食から逃れるため」というのは、それなりに合理性のある理由のように思えます。

5 捕食が知性を生んだ (脊椎動物の登場、約5億2000年前)

生物最後の「大進化」は、約5億2000年前*、カンブリア大爆発の後期に起こります。脊椎動物の登場です。

「脊椎動物」とは「背骨がある動物」という意味ですが、脊椎動物の特徴はそれだけではありません。中枢神経系(脳と脊髄)、左右対称で頭部・胴部・尾部に分かれた身体、酸素を効率的に運ぶヘモグロビンを含んだ赤い血液などを備えた動物、それが脊椎動物です。

最古の脊椎動物である魚類のほか、両生類、爬虫類、哺乳類のすべて、つまり、動物の中で最も大きく、移動性が高く、知的な種類の一群が、このとき現れたわけです。

カンブリア紀に、甲や殻を持つ生物が発達し、その延長で脊椎動物が誕生したという事実は、前項でご紹介した「捕食開始説」の説得力をより高めています。

大きさ、移動性、知性、それらを支えるための赤い血液といった特性は、海中を漂って微生物を食べている間はまったく不要です。しかし、生物の間に捕食者が現れ、「食うか食われるか」が生物界の掟となった暁には、大いに必要なものばかりです。

捕食が始まった世界を生き延びるために知性が登場したという仮説は、なかなか趣があると思います。

6 生物の興亡ーー絶滅と進化

生物の大進化は大絶滅を伴うのが普通です。地球上の酸素濃度が高まり真核生物が登場したときには、嫌気性のバクテリアたちが死滅しました。カンブリア大爆発の前にはやわらかい生物たちが死滅しています。

カンブリア紀以降にも気候変動などが原因と見られる大量絶滅事件が数回起きていますが、中でも「ペルム紀大絶滅」(約2億5000万年前)は生物種の9割以上を絶滅あるいは大幅に減少させたとされる大事件でした。

その直後に地球上に現れたのが、恐竜です。
恐竜は約2億3000万年前に登場し、約1億5000万年に渡って陸上を支配しました。

恐竜の特徴といえば大きさです(小さい恐竜もいますが)。恐竜には草食の系統と肉食の系統がありますが、どちらも巨大であることに違いはありません(特に巨大なものが多いのは草食恐竜のようです)。

彼らが生きたジュラ紀から白亜紀は現在よりもずっと温暖だったため、恐竜を含む草食動物たちはふんだんに育つ草木を食べ、そうして大きく育った獲物を肉食動物が食べ、という形で巨大化していったようです(おとなになると成長が止まる哺乳類と異なり、爬虫類は生きている限り成長を続けるのです)。

しかし、よく知られているように、そんな彼らは、約6600万年前に起こった最後の大絶滅事件「白亜紀の大絶滅」であっけなく滅びてしまいます。

「白亜紀の大絶滅」は、小惑星の衝突が主な原因とされています。小惑星説が唱えられる以前には、ほぼ同時期に発生していた(現在の)インド・デカン高原付近の大噴火による気候変動を原因とする説が有力であったようですが、近年、隕石衝突説の方に有利な証拠が蓄積されて来ているもようです。

ただ、小惑星の衝突がなければ恐竜は絶滅しなかったのかというと、それには疑問符がついているようです。化石試料の分析により、恐竜は「大絶滅」以前(約7600年前)からその多様性を低下させていたことが明らかになっているからです。

https://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/13731

たしかに「大絶滅」とはいえ、すべての生物が滅びたわけではなく、哺乳類やその他の動物は(数を減らしたとはいえ)生き延びましたし、恐竜の中でも鳥類に進化したものは現代まで生き延びています。小惑星衝突が決定打になったにせよ、恐竜の絶滅には固有の要因があったと考えるのが合理的でしょう(「大きさ」ですよね?)。

恐竜絶滅によって有利な立場を得たのは哺乳類でした。哺乳類は、恐竜が現れた直後の2億2500万年頃に登場し、長らく恐竜と共存していましたが、恐竜絶滅後の空白の中で多様な進化を遂げて地球上に広がり、やがて人類を生み出すことにもなるのです。(つづく)

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トッド入門講座

予告編 : トッドの理論はなぜ
「それほどよく知られていない」のか

はじめまして。そうでない方には、こんにちは。
辰井聡子といいます。社会科学の研究者です。

この度、web上でエマニュエル・トッド入門講座を開講することにしました。どうぞよろしくお願いします。

この記事は予告編です。講座の趣旨をご説明します。

目次

堅実な研究者としてのエマニュエル・トッド

エマニュエル・トッドは、世界情勢に関する「独自の」分析を示す知識人としての側面が(少なくとも日本では)一番よく知られていると思います。

本の宣伝には「現代最高の知性」「予言者」「緊急提言!○○に備えよ!」「本当の脅威は〇〇だ!」「大転換期に日本のとるべき道は?」といった言葉が踊っているので、「知識と頭の良さで売っているちょっと攻撃的な論客」みたいなイメージをお持ちの方も多いかもしれません。

たしかに彼にはちょっと面白いことを言って人を喜ばせるみたいなところがあります(それほど攻撃的なことをいうことはないと思います)。しかし、いずれにせよ、私たちが彼から一番学ぶべき点はそこではありません。

トッドは、社会の動き、個人と社会の関係についての法則を発見し、理論化しました。そして、その理論は、もしノーベル賞に「歴史学賞」「社会科学賞」があったら、必ず受賞するであろうというくらい、インパクトの大きいものです。

例えば、「なぜ戦争がなくならないのか」「普通の人がなぜ民族大虐殺に加担するのか」「21世紀になっても差別がなくならないのはなぜなのか」といった問いに対して、「答え」とはいえないまでも、理解の糸口を与えてくれる。そういう理論なのです。(ルトガー・ブレグマンなどがどうしてトッドの理論にたどりつかないのか、不思議でなりません。)

社会科学者として、長年、社会というものの分からなさ、ままならなさに「うーん」とうなっていた私は、彼の理論に出会ってまさに「目から鱗」の状態になり、「社会科学にもこういう「ブレークスルー」があり得るんだ!」と心の底から感動しました。

彼の「理論」は誰にでも使える

彼の理論のすばらしい点の一つは、「誰にでも使うことができる」という点です。

相対性理論を提唱したのはアインシュタインですが、今では多くの人がその考え方を理解して、みんなで宇宙現象や素粒子理論の解明に役立てています(私は理解していませんけど)。

トッドの理論も、これと同じです。トッドの理論は、彼の思想や哲学ではなく、データの解析が導いたもの、つまり科学法則のようなものなので、特別に物知りでなくても、深い思想の持ち主でなくても、内容を理解しさえすれば、歴史や社会をよりよく理解するための道具として、普通に役立てることができるのです。

しかも、理論自体はとりたてて難しいものではないのに、理解を助ける道具としての威力は絶大です。国際情勢(中東で何が起きているのか、アフリカで反政府運動が高まっているようだが何なのか、ミャンマーはどうしちゃったのか、はたまたアメリカは?、等々)から、国内のさまざまな問題、コロナ対策への疑問など、幅広い社会的事象について、大筋が掴めてしまう。「だいたいこんな感じの話だな」とわかってしまう。普通に社会に関心を持ち、素直に真実を知りたいという方であれば、これを身につけない手はないと私は思います。

一度知ってしまうと元には戻れない

世界の根本に関わる科学理論とは、世界の見方を根本的に変え、知ってしまった以上二度と元には戻れない。そういうものです。

例えば、地動説(非地球中心説)は人間の目に写る宇宙の姿を根本的に変えたと思います。今では天動説(地球中心説)に立って天体の動きを論じるなんて考えられない。同様に、進化論なしに生物の世界を眺め、遺伝学の知識なしに人間の形質や疾患を論じることもできないでしょう。

それと全く同じ理由で、私はトッドの理論を理解してから、それなしに世界というか社会を見ることができなくなってしまいました。彼の理論はそのくらい、社会の本質的な部分に関わるものです。

ところがしかし、彼の理論は、それほどよく知られていません。普通に知的な人なら誰でも知っているというものにはなっていません。そのせいで、私は、社会について考えを述べるたびに、いちいち彼の理論を説明しなければならないという、非常にめんどくさい状況に追い込まれているのです。

「こんなことを続けるくらいなら、一度ちゃんと説明しよう!」
私がこの講座を開くことにした個人的な理由です。

彼の理論はなぜ「それほどよく知られていない」のか

ここまで読んで「そんなに重要な理論が「それほどよく知られていない」なんてことがあり得るのか?」と思った方がおられるかもしれません。

彼の理論がその価値ほどに世の中に受け入れられていない理由については、この講座の中でも折々に考えていくことになると思います。しかし、単純な理由もいくつかあります。

(理由1)適当な入門書がない

エマニュエル・トッドは学者なので、その理論を学術書の形で公刊しています。

ありがたいことに、トッドの本のうち重要なものはほぼ全て読みやすい日本語で読むことができます(訳者の石崎晴己さんと藤原書店さんのおかげです)。

しかし、学術書なので、どれも分厚いのです。

トッドは、最初の「発見」の出版から数えて40年近くに及ぶ研究者人生を通じて、その理論を大いに発展させ、ブラッシュ・アップしています。初期に発表された理論も、繰り返し言及される過程で、少しずつニュアンスを変えていたりするので、その分厚い本たちを全部読まないと、ちゃんと「分かった」という感じを得られない。

彼の理論がなかなか一般に普及しないのは当然と言わなければなりません。

エマニュエル・トッドとはどういう学者なのか。どのような歴史的文脈の中で、どのような理論を立てたのか。その理論は現代のわれわれにとってどのような意味を持っているのか。そのような基本的な情報を、わかりやすく、客観的に説明した入門書が存在しない。このことは、彼の理論の浸透を阻んでいる大きな理由の一つだと思います。

(理由2)専門領域をまたいでいる

もう一つの理由に、彼の学問が特定の専門領域の中に収まっていないということがあります。これは「なぜ入門書が出ないのか」の答えでもありますが。

現在の学問の世界では、研究者はみな特定の専門領域に属していて、その専門の中で研究し、研究成果を公表し、評価を受けます。

トッドは、自らを「歴史家」であると定義していますが、大学の歴史学の教授ではありません。彼は、歴史を理解するために、人類学や人口学を多用し、自身は長くフランスの国立人口学研究所というところに勤めましたが、彼が解明した事実の全体像は、およそ人類学や人口学という専門領域に収まるようなものではない。彼がしばしば政治や経済についても発言をしますが、それは、その理論の威力によって、それらの領域でも、真の問題が理解できてしまうからであって、彼が政治学や経済学を修めたからではない。

そういうわけで、現代の学問世界に、彼の理論を正当に評価する資格のある「専門家」は存在しません。しかし、専門主義が基本仕様であるこの社会では、基本的には、専門家による評価なしに学問が普及していくことはありません。

例えば、特定の理論が教科書に載るには、まずは専門家の間での評価が必要ですね。いくら面白くて有意義でも、専門家の間で通説ないしはそれに近い学説として認められていない理論が、学校で教えられることはありません。入門書のようなものも、専門家の間で評価が高まった結果、その領域の専門家が一般向けに書き下ろすというのが普通の流れです。

トッドの理論は、専門という狭い「入り口」を通れず、社会のメインストリームに届かずにいるのです。

(理由3)欧米知識人層の忌諱に触れた

以上のような、どちらかというと形式的な理由だけでなく、彼の学問の内容に関わる理由というのもあると思います。彼の理論には、おそらく、欧米の知識人層を苛立たせ、目を背けさせる何かがあるのです。

トッドが多用する「人類学」という学問は、通常、非西欧社会、とくに未開の社会を研究対象にする学問です。彼はその方法を近代国家に適用することで大きな成果を上げました(以下で述べることはいずれ詳しくご説明することなので、ここでは適当に読み流していただいて構いません)。

近代国家?
辞書を引いておきましょう。

「一般には、17、18世紀のイギリス革命やフランス革命以後の近代社会・近代世界に登場した国民(民族)国家をいう。(中略)
 近代国家の政治原理としては、主権は国民にある(国民主権主義)、政治は国家が選出した代表者からなる会議体(議会)の制定した法律によって運営される(法の支配)、国民の権利・自由は最大限に保障され(人権保障)、そのためには民主的政治制度(代議制・権力分立)の確立を必要とする、などがあげられる。このような近代国家の論理や政治思想は、ホッブズ、ハリントン、ロック、モンテスキュー、ルソーなどによって体系化されたものである。(後略)」

日本大百科全書(ニッポニカ) 田中浩

トッドは、人類学が用いる項目の一つ「家族システム」(親子の関係性、遺産相続のあり方、婚姻のシステム等を軸として類型化された家族の在り方の体系。詳しくは次回以降にご説明します。)に基づいて西欧社会を含む近代社会を分析しました。各文化圏の近代化以前の家族システムと近代化後の政治的イデオロギーを照らし合わせてみたのです。

彼がまず気がついたのは、両者が対応関係にあるということでした。かりにA型、AB型、B型、C型の家族システムがあるとすると、A型の地域はリベラル・デモクラシー、B型の地域は共産党独裁、C型はイスラム国家というように、古来からの家族システムと近代以降のイデオロギーは見事に対応していたのです。(①)

その後、彼は、家族システムが生成する過程を調査し、多様な家族システムたちが、皆、先史時代に遡る一つの原型から進化して生まれたものであることを確認しました。進化の道筋は、西欧近代の基礎にあるA型が、B型、C型への進化から取り残された、より原型に近いものであることを指し示していました。(②)

もう一つ、彼は、歴史学の発見と人口学の理論を援用し、近代化の過程で起きた「進歩」の本体を明らかにしました。現在の標準的な考え方は、商業の発達、貨幣経済の広がり、貿易の開始といった経済的要因をもっとも重視するのですが、トッドはこれを否定し、近代化における「進歩」にとってもっとも本質的なのは、社会全体の教育水準の向上であるという説を立てます。教育を身につけることで人々の主体性が増し、伝統や神の教え、政治的権威に従順である代わりに、自分の考えに従って行動するようになった。それによって表出したのが近代社会であると、そういう考え方です。(③)

・ ・ ・

これがなぜ西欧人の気分を害することになるのでしょうか。
①〜③の理論を組み合わせると、「近代化」ーいうまでもなく、16世紀以降の歴史を決定づけた最重要の現象ですーのメカニズムが導かれます。西欧の人たちの癇に障るような(笑)やりかたでまとめてみます。

(1)「近代国家」のイデオロギー(リベラル・デモクラシー)とは、A型の価値観を持つ農民たちがもともと持っていた価値観が近代社会に投影されたものであり、ロックやルソーなどの偉大な思想家の発明品ではない。

(2)西欧がいち早く近代化を成し遂げたのは、西欧がより原型的な(≒ 遅れた)家族システムを維持していたからである。

(3)A型以外の家族システムを持つ国民は、教育水準の上昇により「進歩」を成し遂げたとしても、西欧と同様のイデオロギーを内面化する国民にはならない公算が高い。

トッドの理論は、西欧が成し遂げた近代化の価値を決して低く評価するわけではありません。彼の理論は、ただ、一口に「近代の価値」とされてきたものが、家族システムの価値観に由来する「個性」と普遍的な「進歩」に分かれることを示すだけです。

しかし、これによって、近現代史における西欧のポジションは大きく変わります。

非常に大雑把にいうと、これまで、近代化とはこんな感じのものだと考えられてきました。ヨーロッパが先頭を切って達成した進歩に、他の国々が徐々に追いついてきて、最後には世界が自由で民主的な世の中になるという、そういうイメージです。

トッド入門.002


これに対し、トッドの理論に従うと、近代化マップは、次の図表のように書き換えられます(注:この表はイメージです)。近代化に対する西欧の立ち位置は相対化され、文化圏ごとの数ある近代化パターンの一つに「格下げ」となるのです。

近代化図表(例)

近代国家の理想、それは欧米社会の誇りであり、彼らの自尊感情の基礎にあるものです。偉大な思想の導きの下、いち早く民主化革命を成し遂げ、自由で民主的で豊かな社会を築き上げたこと、そのことが、欧米こそが世界の中心であり、世界をリードする存在であるという彼らの自負心を支えています(バイデン大統領がやたらと「民主主義と専制主義の戦い」などと言っているのはそのためです)。

トッドの理論は、西欧は特別ではないというごく当たり前のことを述べているにすぎないのですが、それは、欧米社会の誇りを傷つけることにほかならない。文化・経済の停滞や、中東政策の失敗、中国の台頭(?)などで、自信を失っている欧米のエスタブリッシュメントには、それを受け止める余裕はないでしょう。

非西欧世界の人なら喜んで受け入れるとは限らない  

では「西欧は特別ではなかった」という事実を、非西欧世界の人々ならば、喜んで受け入れるかというと、そうとは言い切れない。というより「受け入れがたい」と感じる人の方が多いと思います。

世界中の人々は、憧れるにしても反発するにしても、つねに西欧文化を意識し、西欧を真似したり、追いつき追い越そうとしたり、「欧米ももう大したことない」とうそぶいてみたり、西欧を批判して「別の」道を行こうとしたり、してきました(最近は「西欧」の代わりに「グローバル社会」などといっているかもしれませんが、中身は同じです)。

西欧が世界の中心ではないということは、「西欧を真似すればよい世界を作れる」、あるいはまた「西欧を批判すれば本質的な批判をしていることになる」という前提が崩れることを意味します。

「西欧が理想だ」と信じている立場から見ると、先ほどの仮説(3)は、「家族システムが違う文化圏はどう頑張っても西欧にはなれない」という残酷な言明とも受け取れます。批判者にとっては、安心して批判を向けることのできる「巨大な敵」が失われることになり、それはそれで面白くない。

たしかに、なかなかしんどいですよ。

多くの国の国民は、「自由と民主主義」に代表される理想の追求こそが、よりよい社会への道であると信じて努力してきました。自国の社会がうまくいっていないと感じた時は、理想化された「欧米」との違いを探し、指摘し、修正を試みてきました。

それが良心的な市民の基本姿勢であり、知識人(文・理を問わないと思います)の姿勢でもありました。そのような状況が、日本についていえば、150年以上も続いてきたのです。

トッドの理論を受け入れる、あるいは正面から受け止めるということは、世の中に欧米やグローバル社会という「理想」ないし「手本」(ないしは標的)があるという考えを捨て去り、進むべき道を一から自分で考え直すこと、その覚悟をするということに他なりません。

今更そんなこと言われても困るという人はたくさんいるでしょう。それは仕方ありません。

一方で‥‥たぶん、これを読んでいる方の中にも、目が輝き、胸がときめき、お腹が暖かくなっている人がいるはずです(反応はさまざまでしょう)。いますよね?

20世紀をちゃんと終わらせ、次に進もう!

若い方はもしかしたらご存じないかもしれませんが、世界はずっとずっと前から、自由と民主主義を目指していました。過去には、より一人一人の権利が尊重され、みんながより自由に生きられるようにという気運が、いまよりも盛り上がっていた時代だってありました。差別の問題も、環境問題も、ずっとずっと前から意識されていたのです。

でも、はっきりいって、それは実現されていません。日本だけでなくどこの国でも実現していません。自由と民主主義も、差別や貧困のない世界も、クリーンで持続可能な環境も、戦争のない世界も、ずっとずっと目標であったのに、実現していないどころか、悪化さえしている。

目標自体がまちがっていたとはいえないでしょう。どれもこれも、少なくとも大筋では、よいに決まっているものばかりです。

本気でなかったから、でしょうか?
私はそうは思いません。

証明する手立てもその気もないので、みなさんを止めようとは思いませんが、今までと同じやり方で「本気を出して」頑張り続けるなんて、私はまっぴらごめんです。今までだって、みんな、本気で、真面目に取り組んできたのですから。

そうだとしたら、残る答えは一つしかありません。
目指し方がまちがっていたのです。

本気でよりよい社会、少しでも暮らしやすい社会を目指すなら、いまが戦略を練り直すときだと思います。これまでの常識をいったんカッコに入れて、真実に耳を傾け、どうやって先に進んでいくかを考えるときだと思います。

面白そう!
それ、やってみたい!

と、ときめいている素直で能天気で(失礼!)やる気にあふれた皆さんと、エマニュエル・トッドの理論を共有すること。

それがこの講座の目的です。