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トッド入門講座

トッド・クロニクル(2)ー大発見とその後

発見前夜 ー 経済中心思想との決別 (1979)

1976年の『最後の転落』の後、トッドは、「ル・モンド」の記者として歴史関係の書評やインタビューなどをこなしながら(『トッド 自身を語る』26頁等)、自由に研究を続けていました。

この時期の著作(1979年の『狂人とプロレタリア』、1981年の『フランスの創出』)は、どちらも邦訳書が出ていないのですが(英訳も出ていないので私は読んでいないのですが)、仄聞する限り、どちらも、その後完成する理論の準備段階に位置づけられるもののようです。

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まず、『狂人とプロレタリア』。第一次世界大戦を取り上げたこの本で、トッドはは、歴史をメンタリティの観点から分析するという方法を正面から採用します。

この頃、「精神分析に関心を持ち、人間の非合理的な面を重視するように」なっていたトッドは、デュルケム(社会学者)の『自殺論』に倣って、西欧諸国のアルコール依存症や精神疾患の患者数といった指標を用いた分析を行い、第一次世界大戦を中産階級の集団的狂気」として描きました。

この本の執筆の過程で、トッドは、心性に関連する指標の説明力の高さを実感し、「経済主義」の不毛さに確信を抱いたものと思われます(読んでません!)。

また、第一次世界大戦という(とくに)バルカン諸国の近代化の過程における「集団的狂気」の分析は、「大発見」を機にトッドの脳内情報が一気に整理されたそのときに、近代化理論の一部に組み込まれていったと考えられます

この本を振り返って、トッドは「若書きを恥ずかしいと思うと同時に、誇らしい」。なぜなら「マルクス主義的もしくは自由主義的な「経済主義」と決別するきっかけとなった本だから」、と語っています。

フランスの創出L’Invention de la France)』の方は、人口学者であるエルヴェ・ル・ブラーズと共に、フランスの人類学的多様性を分析した著書のようです(それ以外にも重要な要素があるかもしれませんが、わかりません)。そうだとすると、これ以降のトッドによるフランスに関する分析の基盤をなす研究業績だということになるでしょう。

なお、ル・ブラーズは、この頃トッドが就職した国立人口学研究所の同僚で、これ以降も共著(『不均衡という病』(2013年)(邦訳は2014年))を出しています。『文明の接近』(2007年)(邦訳は2008年)の共著者ユセフ・クルバージュも研究所人脈ですから、人口学の専門家との交流はトッドにとってよい刺激となったようです。

  • 『狂人とプロレタリア』でマルクス主義的 or 自由主義的「経済主義」と決別
  • 国立人口学研究所に就職し人口学人脈を得る

大発見を世に問う ー 『第三惑星』 出版(1983)

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トッドが「大発見」にみまわれたのは、そんなある日のことでした。

ある日、後に母から相続することになるアパルトマンのソファーに寝転がっていたところ、「外婚制共同体家族の分布図」と「共産圏の地図」とが突如、重なったのです!まさに啓示でした!私は何らかの目論見からこの二つを重ねようとしたのではありません。とにかく「二つが一致する」ことを突如、発見したのです

『問題は英国ではない、EUなのだ』91頁

トッドはこの「啓示」をきっかけに、家族システムとイデオロギーの関係性に思い至った、とあちこちで述べているのですが、これはやや眉唾、というか誇張があるのではないか、と私は見ています。

先ほど、トッドのケンブリッジ時代、トッドとラスレットの「根本的不一致」について書きましたが、この件について、トッドはこうも語っているのです。

私は家族制度と政治的イデオロギーの間には関連がある、過去の農民の中に18世紀から20世紀にかけてイデオロギー化されたものを観察することができる、フランスが自由と平等の理念を信じるのは、パリ盆地の農民たちが自由と平等を信じていたからだ、ロシアが共産主義になったのは、ロシアの農民が一種の権威主義的かつ平等主義的な大家族の中で生きていたからだ、と考えましたが、ラスレットはそうした命題全体に反対でした。

『世界像革命』108頁

つまり、ケンブリッジでヨーロッパの家族システムの研究をしていたトッドは、その段階から、ヨーロッパの家族システムとイデオロギーの間には関連性があるという感触を持っていた。

アパルトマンでの「啓示」は、家族システムとイデオロギーの関係を「ヨーロッパの現象」として捉えていたトッドの目を、世界全体に開くものだったのではないでしょうか。

外婚制共同体家族の分布図には、ロシアだけではなく、ユーゴスラヴィア、中国、ベトナム、キューバといった国々が含まれます。この全てが、共産主義が成功した国々であると気づいたときの驚き。

「!」

ヨーロッパについて漠然と抱いていた感覚が、世界全体の謎に接続した瞬間です。

この発見の後、半年かけて、パリの人類博物館の図書室に閉じこもり、地球上の家族構造を分類し、自分の直感が正しいかどうかを検証しました。「農村社会の家族構造によって近代以降の各社会のイデオロギーを説明できる」という仮説が本当に妥当するのかどうか、神秘を前にするような不安のなかで、一つ一つ検証していったのです。私の仮説を無効にしてしまう家族構造が、いつどこから現れてきても不思議ではありませんでした。けれども、ヨーロッパの中心部から南部へ、アジアからラテン・アメリカへと解読作業を進めるに連れて、この仮説が強力に機能していると確信していったのです。

『問題は英国ではない、EUなのだ』92頁

トッドはこの発見を大急ぎで論文にまとめ、1983年『第三惑星ー家族構造とイデオロギー・システム』というタイトルで出版しました(邦訳は『世界の多様性』に所収)。

なぜそんなに大急ぎだったかというと、トッドは「先を越される」ことを恐れていたからです。共産主義と外婚性共同体家族の一致は、トッドにとっては四の五の言う必要のない「明白な」事実であって、単に気づくかどうかだけの問題だった。彼と同じようなデータを扱っている研究者たちの顔も目に浮かびました。

出版しさえすれば、他の研究者たちにも「明白なものとして速やかに受け入れられると」、ごく楽観的に構えていた彼は、博士論文に言及して自分が家族システムの専門家であることを知らしめることも、彼がラスレットやマクファーレンの系譜の中にあることを明記することもせず、「イデオロギー的な幻想に対して‥‥喜々としてまた残酷なまでの批判を突きつけ」るこの本を、いわば「丸腰で」、世の中に送り出したのでした(以上につき『世界の多様性』22-23頁)。

*なお、トッドの仮説の形成においては、アラン・マクファーレン『イギリス個人主義の起源』(1978年)の影響も重要です。トッドは「仮説を立てた時点では‥‥すっかり忘れていた」らしいのですが、「ル・モンド」の記者時代に、イギリスの古い核家族と個人主義イデオロギーの関係を指摘したこの本を絶賛する書評まで書いているのです。マクファーレンはケンブリッジの人類学教授でもありましたから、同書出版以前に彼の着想を知る機会もあったかもしれません。彼の影響を思い出して以降は、トッド自身、家族システムとイデオロギーに関する彼の理論の系譜は「ラスレット→マクファーレン→トッド」であると明言しています(『トッド 自身を語る』19頁、『家族システムの起源I 上』20-23頁)。

近代化理論の完成 ー 『世界の幼少期』 (1984)

トッドは、翌1984年には『世界の幼少期』という本を出版しています(邦訳は『世界の多様性』に所収)。

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『第三惑星』で、トッドは、世界の主要な国々に見られる家族システムを類型化し、政治経済に関わるイデオロギーとの関係を示しました。

『世界の幼少期』では、識字率のほか、婚姻、出生に関わる人口動態データを用いて、家族システムの影響を組み込んだ「近代化理論」を打ち出し、成長に関する現状(ある地域はなぜ高度に成長していてある地域はそうでないのか、ある地域では女性の地位が高くある地域ではそうでないのはなぜか、等)の説明と近未来の予測を提示してみせました。

この本で、トッドは、成長を主に経済的現象と見る社会通念を否定し、成長とは文化的(心的)現象、とりわけ教育に関わる現象であるという事実を明らかにしたのです。

近代化のメカニズムの解明を通じて、社会の表層で起きる現象に対して、家族システム、教育という指標が、経済的指標などその他の指標をはるかに凌駕する説明力を持っていることを証明した。これがトッドの社会科学に対する基本的な貢献です。つまり、『第三惑星』『世界の幼少期』の2冊で、トッドの理論は、ほぼ完成しているのです。

「啓示」を受けたトッドがあっという間に2冊の著書をまとめるこの手際の良さを見ると、やはり、「啓示」は、ある程度の青写真をすでに持っていたトッドのところに訪れて、ブレイクスルーをもたらしたと考えるのが自然だと思います。

すでに見たように『第三惑星』の青写真は、ケンブリッジ時代に、ラスレットやマクファーレンの影響下で、トッドの脳裏に浮かんでいたものでした。では『世界の幼少期』の方は、どこから来たのか?

この着想をトッドにもたらしたのは、ローレンス・ストーン(Lawrence Stone)というイギリスの歴史学者でした。

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もし識字化に関するわれわれの数値が正しいなら、それは大まかではあっても、イングランド革命、フランス革命、ロシア革命という、西洋の三大近代化革命は、男性の識字率が三分の一と三分の二の間にあり、それ以上でもそれ以下でもない、そうした時に起こっているということを示唆している。

Literacy and Education in England 1640-1900, Past Present, Volume 42, Issue 1, February 1969, p.138 (翻訳は『デモクラシー以後』105頁をそのままお借りしました)

トッドは1964年および1969年に公刊されたストーンの論文(The Educational Revolution in England, 1560-1640, Past and Present, Vol.28, 1964, pp.41-80)を(おそらく学生時代に)読み、強い印象を受けました。

識字化が民主制の伸張に主導的な役割を果たしたことは、もう何年も前にストーンの論文を読んで以来、私には自明のことのように見えた。

『デモクラシー以後』107頁

それにも関わらず、識字化の指標が学術界で十分に生かされていないことを知り、トッドは「男性識字率50%超過→政治的民主化」という命題を「ストーンの法則」と命名し、自身の理論の中で大いに活用していくのです。

「それでも地球は動く」 ー トッド、異端者となる

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なぜ近代化の牽引役となったのがヨーロッパの端っこの島国イギリスだったのか。市民革命を起こしたフランスがヴィシー政権でナチスドイツに屈したのはなぜか。他のどの工業先進国でもなく後進のロシアで共産主義革命が起こったのはなぜか。ベトナム、キューバのように共産主義化する国が他にも現れるのか。ロシアや中国はいつか西側諸国と同じ民主主義国家となるのか。中東や中東アジアはどうか。彼の地やアフリカ各地、アジアの後進地域で現在起きている動乱はいったい何なのか。彼らはこの先安定した近代国家を構築できるのか。できるとすればそれはいつなのか。‥‥

こういったことを全て一定の蓋然性の下で説明・予測できる理論を見出したとしたら、それは「大発見」というほかありません。

トッドは、(おそらく)DNAの二重らせん構造を発見したワトソン、クリックが大急ぎで論文をまとめたときのような気分で、超特急で本を執筆・出版しました(『エマニュエル・トッドの思考地図』94-95頁、『問題は英国ではない、EUなのだ』95頁)。

もちろん、彼は、ワトソン、クリックが受けたような賞賛が自らを待っていると期待していたでしょう。「思想に関する幻想から解放してくれたと多くの人々から感謝されるだろうとすら」思っていた、と後に語っています(『エマニュエル・トッドの思考地図』189頁、192頁)。

ところが、実際に彼を待っていたのは、曲解、敵意、酷評。つまり、新しい理論に対する拒否反応でした。

私はこの刊行によって、偉大な研究者として認めてもらえることを夢見ていたのに、まるでガリレオのような状態に陥ったのです。

『エマニュエル・トッドの思考地図』192頁

1983年に刊行された『第三惑星』の主な読者はフランスの知識人でした(英訳が出るのは1985年です)。彼らはこの本の何を拒絶したのか。

彼らが拒否したのは、この本の「思想」でした。フランスの知識人たちは、この本に、決定論の思想、人間の自由を否定する思想を読み取り、拒否反応を示したのです。

1980年代前半、知識人たちは、マルクス主義の「経済決定論」を葬り去り、自由の勝利を謳歌しようとしていました。「実際、単純な説明で理解することができるという考えそのものが、信念の単純さから開放されたと感じ、世界と生命に複雑さを発見しようとしていた人々にとっては耐え難いものと映ったのである。この時代の思想の流行は、‥‥「複雑性」であり、「システミック」であったのだ」(『世界の多様性』16頁)。そのような時代背景が一つ。

より本質的な要因は、彼らの人間観であり、世界観だと思います。フランスやイギリスの人々は、自分たちの精神は自由であると信じ、誇りに思っています。その自由を最大限に使って、民主主義を発明し、「自由、平等、博愛」のスローガンで世界を鼓舞し、自由で民主的で豊かな世界の実現に貢献してきたと自負しています。

「それなのに、トッドという奴は何だ? 家族がイデオロギーを決定するだと?保守反動もいい加減にしろ。人間の自由への冒涜だ!」

「せっかく階級から解放されたと思ったら、今度は家族だと?冗談じゃない!」

とまあ、そういうわけで、トッドは、保守反動の差別主義者という訳のわからないレッテルを貼られ、知識人世界の反発を一身に受けることになるのです。

念のため、確認しておきますが、トッドが世に問うたのは「思想」ではありません。事実です。トッドは家族システムとイデオロギーの間に相関関係があるという「事実」を発見し、それを公表した。しかし、人々は、その事実としての妥当性を評価する前に「自分の世界観に合致しない」という思想上の理由でそれを拒絶したのです。

トッドはつぎのように述べています。

重力は人間の自由を束縛するから、重力を発見した科学者はファシストだとでもいうのだろうか。重力は存在しないと宣言すれば、人間は自由になれるとでもいうのだろうか。重力を否定する科学者は確実に重大な事故を引き起こすだろう。しかし重力の存在を認めてモデル化するなら、飛行機を発明することも、月に到達することもできるのである。(『世界の多様性』19-20頁を趣旨はそのまま改変)

*「トッドとマルクス」でご紹介したマルクスの文章にも、重力の例が使われていました。

 

リベンジ! ー 1990 『新ヨーロッパ大全』刊行

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『第三惑星』『世界の幼少期』の出版という胸躍るイベントは、正当な評価を受けないまま終わりました。しかし、何にしろ、偉大な発見を、このままで終わりにするわけにはいきません。

トッドは、その後、7年間を費やして、範囲をヨーロッパに絞って、家族システムとイデオロギーについての仮説をより丁寧に綿密に検証する作業を行い、彼の理論をより学術的で説得力の高い著書として完成させました(『新ヨーロッパ大全 I・II』フランスでの刊行は1990年)。

*「トッドの学術的な著作をどれか一つ読んでみたい」という読者には、私はこれをお勧めします。読むたびにその説明力に唖然としてしまう。すごいの一言です。 

トッドのアンガジュマン(社会参加)

そうこうしているうちに、楽観的な80年代を生きる浮かれた若者だったトッドは40歳を過ぎ、フランス、というか 、先進国はみな、深刻な景気後退局面を迎えていました。

自らの理論への一層の確信と、より練り上げられた理論を手にする彼の目の前には、経済的格差の増大、排外主義の高まりの中で、希望を見出せずにいる庶民、若者、移民出身者たちがいて、他方に目を移すと、そこには、危機に対して何ら意味のある行動を取ることができず、自己利益のために国民の大半を犠牲にして恥じない政治家、エリートたちがいた。

‥‥科学者として、政治家たちがその国に暮らす人びとの内でも最も弱くて脆い立場にいる人びとを無益に苦しめつつ、全体を災厄へと引っ張っていくのを目の当たりにして激しく苛立つことがあるのです。

『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』4-5頁

トッドは、家族システムを中心とした歴史人類学研究を深化させていく一方で、「アンガジュマン」を開始することになります。

トッドは基本的に、フランス市民として、フランス人の科学者として、フランスのエリートに論争を仕掛けていくというやり方を取るのですけど、フランスが抱えていた(る)問題のほとんどは、程度や現れ方の違いはあっても、日本と共通です。景気の低迷、グローバル経済の中での格差の増大、排外主義の活性化、アメリカのプレゼンスの低下や各種(国際的)地域情勢への対応、等々。

しかも、それらは何も解決していないので‥‥この「入門講座」の中では、トッドの基礎理論の部分だけでなく、「アンガジュマン系」の議論についても、ご紹介していく予定です。

近未来への展望 ー 非西欧文明の若者たち

家族システムとイデオロギー、そして「成長」に関するトッドの理論は、「第三惑星」の出版から40年になろうとする現在も、正当な評価を受けているとはいえません。

トッドの言によれば、学者としてのトッドは、「どちらかというと国外の、アメリカの経済学者やオランダの学術界で少しずつ認められてきてはいますが、フランスでは一部の若者層を除き、認められていない」(『エマニュエル・トッドの思考地図』187頁)。トッドには悪いですが「学術界」ということでいえば、日本でも状況は同じです。

*フランスのウェブ(テレビ)番組から生まれた本『アラブ革命はなぜ起きたか』(2011)を読むと、「一部の若者層に」認められているという雰囲気が少し感じられる気がします。それはそれとして、トッドの理論の入門書としては、この本をお勧めします。

トッドは今年で72歳になります。この間、ずっと活発に執筆活動、社会的発言を続け、それでもこの程度の認知しか得られなかった。彼の理論は、このままフェイドアウトしていく運命にあるのでしょうか?

私には、一つ、確信していることがあります。

それは、この先、そう遠くない将来に、中東や中央アジア、アフリカなどの若者たちが、トッドあるいはその精神的後継者の理論を発掘し、役立てていくだろう、ということです。

上述の地域は、現在、近代化の過程の只中にあるか、これからそれを迎えようという地域です。そこでは、非常に若い人口が(例えばアフガニスタンの2020年の年齢中央値は18.4歳です(日本は48.4歳))、人口を大幅に増やしつつ、今から民主化を達成し、自分たちに見合った社会を作ろうとしている。

先進国がトッドを拒絶した(あるいは少なくとも歓迎しなかった)理由というか背景の一つは「人口の老化」であると私は見ています。老いた文化圏には「新しい真実」など、煩わしいだけですから。

しかし、今から成長しようとしている地域は違います。

数々の問題を抱え、停滞している西欧文明を横目に見ながら、新しい社会を作っていく彼らには、真新しい真実こそが必要です。

そして、先進国によって長らく「遅れた」というレッテルを貼り付けられてきた彼らには、自分たちは何者なのかを知りたい。知らなければならないという強い願望があるはずです。

彼らは、西欧社会が描いた歴史地図から抜け出して、新しい社会の設計図を描くため格好の道具として、トッドの理論を発見するでしょう。夢中になって読み漁り、西欧文明とは何だったのか、自分たちに今何が起きているのか、自分たちは何者でありうるのか。その全てを知り、未来を作るために、彼の理論を役立てていくでしょう。

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私は、ただ自分のために、自分がどんな世界に生きているのかを知るために、トッドの理論を学びました。今、こうして「講座」を開いているのは、この理論が、それぞれの人の「自分のため」の探究に役立つ道具であることを確信しているからです。

それでも、私自身の探究が彼らのそれと重なって、どこかで協力しあえたらと思わずにいられないし、「老いた社会」に暮らす若い人たちの探究が、彼らのそれと重なって、停滞の中でのサバイバルなんかではない、新しい社会を作る作業に連なっていくようにということも、願わずにはいられません。

トッドはどこかで「この理論を国連に採用してほしいのだが‥」と冗談めかして語っていたことがあります(どの本で読んだか思い出せないのですが)。「私もそう思う!」と言いたい。冗談ではなく。

考えられる限りフラットなこの鏡(=歴史観)を手にしていれば、進歩とは競争ではないことがわかるし、違いは怖れる対象ではないことがわかる。自分と彼らは同じ世界に住んでいることがわかり、「自分のため」の探究が、必ずや、彼らのそれと重なっていくであろう、ということもわかるのです。

今、私が社会科学者としてできる一番の貢献は、この理論を伝えることだと思うので、この先、彼の理論を明快に分かりやすくお届けするために、できる限りのことをするつもりです。