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トッド入門講座

〈特集〉アメリカ
-予告編-

はじめに

21世紀前半を生き、世界の真実に近づくことを目指す私たちにとって、アメリカほど興味深く、重要な研究対象はありません。

私たちがいまどんな世界に生きていて、どうしてこの世界を生きることになったのか。アメリカという国を理解することなしに、その答えに近づくことはできないでしょう。

トッドもそう考えたのだと思います。彼は『我々はどこから来て、今どこにいるのか』(2017年(日本語版は文藝春秋 2022年))の中で、アメリカの人類学的分析に最も多くの紙面と労力を費やしました。

以前にも少し書きましたが、彼の分析は本当に鮮やかで、アメリカに関する部分(とくに11章から14章)の骨子はいつか必ず紹介しなければと思っていました。

しかし、彼の分析によって、アメリカをすっかり理解できるか。私たちの生きるこの世界がなぜこのようになったのかを理解して、その先を考えることができるか。‥‥ ということになると「何かが足りない」と感じることも事実なのです。

そこで、トッドに学んだ日本の私は「何か」を付け足すための準備に勤しんでいたのですが、ようやく準備が整ったので、はじめましょう。

それにしても‥‥ トッド入門講座のくせに「足りない」なんて、いったいどういう了見なんでしょうか。

ご説明させていただきます。

トッドのアメリカ観

アメリカの未来、そしてアメリカが主導する世界の未来についてのトッドの感触は、この20年ほどの間に、悲観→楽観→悲観 と揺れ動いています。順番にご覧いただきましょう。

(1)帝国以後:悲観するトッド

2002年、トッドは、「帝国」としてのアメリカ、つまり世界の覇権国としてのアメリカに焦点を当てたこの本を、次のような言葉ではじめました。

アメリカ合衆国は現在、世界にとって問題となりつつある。これまでわれわれはとかくアメリカ合衆国が問題の解答だと考えるのに慣れて来た。アメリカ合衆国は半世紀もの間、政治的自由と経済的秩序の保証人であったのが、ここに来て不安定と紛争を、それが可能な場所では必ず維持しようとし、国際的秩序崩壊の要因としての様相をますます強めるようになっている。

‥‥「孤高の超大国」はなぜ、第二次世界大戦直後に確立した伝統に従って、基本的に寛大で穏当な態度を保持することをやめたのか?なぜかくも動き回り、安定を揺るがすようなことをするのだろうか?全能だからか?それとも逆に、今まさに生まれつつある世界が自分の手をのがれようとしているのを感じるからか?

『帝国以後ーアメリカ・システムの崩壊』(藤原書店、2003年)19-20頁、25頁

本の中盤では、アメリカにおける民主主義の衰退(≒ 万人を平等に扱う普遍主義の衰退)と軍事的・経済的実力のお粗末さを指摘した上で、「‥‥2050年前後にはアメリカ帝国は存在しないだろうと、確実に予言することができる」(117頁)とまで述べています。

要するに、彼はアメリカに絶望していたのです。ところが、この時期までに行われた分析のほぼすべてを維持したまま、この後、彼のアメリカ観は上向きに転じます。

(2)我々はどこから来て、今どこにいるのか?:「原始的なアメリカ」への期待

理由ははっきりしていて、彼はこの間(2002年から2017年)に、「民主制はすべて原始的である」そして「ホモ・アメリカヌスはほぼ狩猟採集民である」という着想を得たのです。

ホモ・サピエンスの人類学的な最初のシステムは核家族であり、重要な親族との関係でできた小さなグループの社会なのです。この核家族の個人主義的な価値観は、リベラル・デモクラシーの基本的な思想につながっていると考えられます。そのことを考えていくうちに、こういう見方にたどり着きました。ならばリベラル・デモクラシー自体も古いものなのだ、と。核家族というシステムの発生に伴って、柔軟で、原初的なデモクラシーや原初的寡頭制という現象も登場したのです。

エマニュエル・トッド、ピエール・ロザンヴァロン他『世界の未来』(朝日新書 2018年)11-12頁

トッドは、2012年に刊行した『家族システムの起源』(翻訳は2016年)の中で、「大家族(複合家族)から核家族へ」という一般常識と異なり、核家族こそが、太古のすべての人類がもっていた普遍的なシステムであることを明らかにしていました

これを手がかりに、彼は『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』の中で、リベラル・デモクラシーの本家と目されるイギリス、アメリカの人類学的分析に取り組みます。

その結果、アメリカのシステムが太古の狩猟採集民のシステムに最も近いことを理解した彼は、「民主制はすべて原始的である」という認識に到達し、「原始の民の活力が停滞する世界を切り開く」というイメージに希望を見出すのです。

例えば、出版直後に当時話題となっていたトランプ大統領選出やイギリスのEU離脱(Brexit)について語るトッドはこんな感じです。

私はトランプ大統領があまり好きではありませんし、英国の大衆層の排外的な部分も好きではありません。けれども、この排外性は民主主義と反対のことではなくて、民主主義の始まり、あるいは再登場の始まりなのです。‥‥

‥‥いずれにしろ家族という次元でも政治の次元でも自由であった方が、社会は創造的です。だから、英米世界はこれからも世界をリードし続けるだろうと思います。

『世界の未来』15-16頁

(3)ウクライナ戦争以後:再び悲観へ

しかし、ウクライナ危機の悪化によって、彼のアメリカ観は、再び下方修正されるのです。

タイミングよく(わるく?)2022年10月に公刊された日本語版『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』のあとがきで、トッドは次のように述べなければなりませんでした。

2017年に刊行した本書に関して、基本的な分析の枠組みや主張は、5年経った今でも妥当すると自負しています。

ただ、当時と比べて自分自身の認識を改めざるを得なかった点があります。それは、本書の主題でもあるアングロサクソン世界に対する見方です。本書の執筆時には、今よりも楽観的な見方をしていて、ブレグジットを決断したイギリスとトランプを大統領にした米国ー他の先進国に先んじて民主主義の失地回復を果たしたアングロサクソン世界ーに期待をかけていたのです。

ところが、その後の両国の動きに、少しずつ不安を感じるようになりました。世界を安定化させるどころか、率先して世界を不安定化させているように見えたからです。そのことが明白になったのが、ウクライナ戦争でした。

『我々はどこから来て、今どこにいるのか』311頁

こうして、私たちは、再び『帝国以後』の冒頭に立ち戻った、といってよいでしょう。つぎの引用は、2023年1月に日本の新聞に掲載されたインタビューの末尾。日本へのメッセージですが、トッドがアメリカの将来に対して暗い見通しを持っていることをはっきりと伝えています。

守ってくれる米国が先につぶれることがあり得ます。ソ連が崩壊したように。日本はまるでソ連を構成した共和国のようですが、幸いなことにその国々よりも多くのリソースを持っている。生き延びていくチャンスは、そこにあるのです。

2023年1月25日 中国新聞(朝刊)

国家とデモクラシー:アメリカの2つの謎

トッドは、なぜ、アメリカの人類学システムを解明したその本で、アメリカの将来について(少なくとも短期的には)誤った見通しを抱くことになってしまったのでしょうか。

ちょっと意地の悪い問いですが、この問いこそが、私たちをより真実に近づけてくれることはまちがいない。

そこで、まず、彼が『我々はどこから来て、今どこにいるのか』の中で、人類学的知見をどのように役立て、どのような問題を解明したのかを確認しましょう。

(1)デモクラシーの成立と衰退ー「平等」の不在

アメリカの家族システムは、母国イギリスに由来する絶対核家族とされます。その表現する価値は、トッドのマトリックスによれば「自由+非平等」、講座版マトリックスによると「権威の不在+平等の不在」です。

*詳しくは「アメリカの家族システム」でご紹介しますが、トッドは、アメリカの核家族は、いったん絶対核家族から原初的(未分化)核家族に近づき、改めて絶対核家族に回帰したあとも(イギリスの絶対核家族と比べ)より柔軟性を保っていることを指摘しています。

この知見を前提に、彼が論じたテーマは「アメリカのデモクラシー」(*トクヴィルと同様、トッドも現地に滞在して執筆したようです)。

中心にある問いは、「デモクラシーはなぜ平等の価値を持たないアメリカで早期に成立し、のちに衰退したのか」です。彼は、「権威と平等」というアメリカに欠如する2つの価値のうち、もっぱら「平等」の方に着目したわけです。

この問いが重要な問いであることは間違いありません。

アメリカのデモクラシーとは「生まれながらにして平等」な人民の合意に基づく政治です。

→独立宣言 https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2547/

「平等の価値を持たない核家族のアメリカがなぜ ”自由と平等” のフランスよりも早くスムーズにデモクラシーを確立できたのか」は、大いなる謎であり、とりわけ人類学に信を置く者にとっては、絶対に解明しなければならない謎といえます。そして、トッドは確かにその謎を解いたのです。

しかし、それにもかかわらず、トランプ大統領の登場が、アメリカを安定に導く過程の始まりなのか、そうでないのかを見通せなかったのはなぜなのか。

「もう一つの謎が放置されたままになっているからだ」というのが私の考えです。

(2)国家の成立と衰退ー「権威」の不在

もう一つの謎とは何か。それは「「権威」の価値を持たないアメリカが、なぜ国家を成立させることができたのか?」です。

国家の誕生と家族システムにおける「権威」の誕生(=直系家族の誕生)が歴史的に同期するという事実、さらに、原初的(未分化)核家族には国家形成能がないという事実を、私はトッドから教わりました。

「これは決定的だ!」とピンと来て、どんどん仮説を立てているのですが、トッド自身は、国家における「権威」の重要性をあまり真剣に受け止めていないように感じられます(フランス人だからでしょうか‥)。

トッドは、イギリスには過去(古代ローマやノルマン)に由来する「上位の権威」が存在し、アメリカには存在しないことを明記していますし(『我々は‥』上 325頁)、次の部分にもその問題意識が見られます。

米国では、イギリスの社会システムの垂直的要素の大半、すなわち、貴族における長子相続、君主国家とその教会、昔からの支配階級、村落における安定的な寡頭制などが消えた。社会的・精神的システムの中枢を成していた原理そのものが、大西洋の西側では廃止されたのだ。消失したものとして語られるべきものは、超越性、他律性、社会的超自我であろうか。言葉の選択はさほど重要でない。要は、アメリカで姿を現し、拡がったシステムが、地域共同体の数々と連邦を構成する諸州を擁して、イギリスのシステムよりも遥かに水平的であり、原初的人類を構成した原始的集団のシステムに遥かに近いことを確認しておけば充分だ。

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』下 26頁

ここまで来たら、つぎの問題は、「それにもかかわらず、アメリカはなぜ国家を形成できたのか」でなければならないはずであり、「アメリカにおいて法、秩序、国民の統合を可能にしているものは何なのか?」でなければならないはずです。

彼がこうした問題に「かすっている」ことは、つぎの文章に見て取れます。

建国の父たちが新たな人民に成文憲法を与えたことはいうまでもない。そのテクストは、しばしば修正を加えられたとはいえ、きっぱりと尊重された。そうして、たちまちのうちにアメリカという国家が存立し、その国家の具備する代表制が素晴らしくよく機能した。それは、高い教育水準のお陰であり、また、社会を不安定にしやすい平等主義的無意識の不在のお陰でもあった。しかし、われわれがすでに見てきたとおり、アメリカという国家はこれまで一度として、正統な暴力の独占を自らに確保し得たためしがない。米国の住民たちはまったく当たり前のように旧式で、武装しており、その他殺率はヨーロッパの水準の5倍から15倍の間で推移している。

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』下 26頁

アメリカで、憲法が成立し、国家が存立し、代表制が機能した一方で、暴力をコントロールには失敗している。ここまで明瞭に指摘しておきながら、トッドはこれらのすべてを「原初性」に結びつけ、ロマンすら感じてしまい、「それほど水平的で、原初的であるのに、なぜ国家が成立したのか」を(真剣には‥)問わないのです。

「きーっ、もったいない!」と歯噛みをしつつ、日本人の「権威マニア」としては、フランス人トッドは「権威」の何たるかをよく理解していないか、「平等」に集中しすぎて「権威」のことを忘れてしまったと判断せざるを得ません。

しかし「権威の不在」に関する謎を置き去りにしていることが、トランプのアメリカが健全な民主主義のスタートであるというような「ロマン主義的誤謬」の大もとにあることは間違いないと思われ、私たちとしてはこの謎に取り組まないわけにはいかない。

ということで、「もう一つの謎」は、satokotatsui.comの方で探究することとさせていただきます。

〈特集〉アメリカ

以上の次第で、「特集・アメリカ」は、トッド入門講座とsatokotatsui.comの共同企画とし、三部構成でお送りいたします。

アメリカの家族システム
エマニュエル・トッド入門講座

アメリカ I (平等の不在)ーデモクラシーの成立と衰退ー
エマニュエル・トッド入門講座

アメリカ II(権威の不在)ー国家の成立と衰退ーsatokotatsui.com

どうぞお楽しみに。