前回のおさらい
アメリカにおけるデモクラシーの成立と衰退の「なぜ」を問うている「アメリカ I 」。
トッドとともにわれわれが探究していたのは次の2つの問いでした。
問① 平等不在のアメリカになぜデモクラシーが成立したのか
問② そのデモクラシーはなぜ衰退したのか
今回のテーマは②。
「すべての人は生まれながらにして平等であり‥‥生命、自由、および幸福の追及を含む不可侵の権利を与えられている」と信じていたアメリカは、なぜ、格差と分断のアメリカになってしまったのか、という問いです。
前回の内容をおさらいしましょう。
トッドは、問①に対し、「アメリカのデモクラシー」成立の基礎は、次の2つである、という答えを出しました。
①教育水準の平等
②人種主義による白人の平等
問②に向けては、次の事実が確認されました。
「高等教育の進展(+頭打ち)による ①教育水準の平等 の崩壊がアメリカの平等の基盤を掘り崩した。」
これから取り組むのは、次の謎です。
「教育の平等の崩壊→格差の拡大というメカニズムを先進国が共有する中で、アメリカにおける「格差と分断」が飛び抜けて急速かつ極端なものとなったのはなぜか?」
アメリカに平等をもたらした魔法が①と②であった以上、アメリカにおける「格差と分断」にも、「②人種主義による白人の平等」が関係していることが予想されます。
そこで、アメリカにおける人種主義のその後を確認するところから始めましょう。
ここからのテーマは、「アメリカの「格差と分断」が飛び抜けて急速かつ極端なのはなぜか?」
黒人解放運動 1955-
高等教育が平等の基盤にヒビを入れ始めていた頃、黒人解放運動も本格化しようとしていました。
1955年12月、南部アラバマ州モンゴメリーで、黒人女性ローザ・パークスは、勤務先のデパートから帰る途中のバスの中で、後から乗り込んできた白人に席を譲れという運転手の命令を拒絶し、警察に逮捕されます。バス・ボイコット運動の発端となった事件です。
トッドは、黒人解放運動が黒人コミュニティの自発的な動きであり、同時に、アメリカ社会の内発的な動きでもあったことを指摘しています。
彼らの教育水準が、隔離政策への服従をばかげたこととみなしたのだ。
下・75-76頁、英語版 226頁
アメリカで、人種隔離は、黒人の教育を否定するものではありませんでした。1900年の時点で黒人の識字率は55%に達し(白人は95%。ただしこの時期の55%はイタリア、スペイン等の諸国より高い)、1930年頃に生まれたアメリカ人(1955年時点で25歳)の平均通学期間は、白人11年半に対し黒人9年に達していました。
初等・中等教育の拡大が黒人・白人双方の心に平等意識を醸成し、差別撤廃運動に駆り立てた。黒人解放運動の重要な一側面です。
他方、この時期の「運動」活性化には、冷戦という外的な要因も寄与しています。
当時、共産主義陣営は、人種差別をアメリカ文化の劣等性の証拠として喧伝するようになっていました。アメリカとしてはどうにかこれを克服する(少なくともその姿勢を見せる)必要があったのです。
一方では初等・中等教育拡大による平等意識の自然な表れとして、他方では冷戦の勝利に向けた戦略的アピールとして、ともかく、黒人と白人のアメリカ人は、人種差別撤廃に向けてともに進み始めたのです。
ちょうど高等教育の拡大が平等の下意識に亀裂を入れ始めた頃、黒人解放運動が始まった
黒人解放運動には、①初等・中等教育拡大による平等の下意識を基礎とした内発的な社会改良運動、②冷戦に勝利するための戦略的アピール の2つの性格があった
「黒人解放」が「白人の平等」を崩したのか?
この時点で、アメリカにおけるあまりにも激しい不平等を説明する仮説として考えられるのは、「黒人の解放が「白人の平等」を破壊し、高等教育による不平等に拍車をかけた」というものでしょう。
アメリカのデモクラシーの「成立」に関するトッドの理論を公式化してみると、こんな感じになりそうです。
デモクラシー成立の公式
平等の不在+(教育の平等+黒人排除による白人の平等)
=全員参加型デモクラシー
この括弧内の条件を、高等教育の進展による不平等+黒人の包摂に変えると、つぎのような式が導かれます。
デモクラシー衰退の公式
平等の不在+(教育の不平等+黒人包摂による白人の平等の破壊)
=極端な不平等
トッドは「黒人の包摂」が「白人の平等の破壊」に至る機序を、つぎの「三段論法」の形で説明しています。
*「恐るべき(terrible)三段論法」(下・77頁、英語版227頁)
「平等」崩壊の三段論法 ver.1
① 白人は「劣った者=黒人」ではないゆえに平等である。
② 黒人は「劣った者」ではない(黒人と白人は平等である)。
③ ∴ 白人は平等ではない。
ええ、確かに、このような三段論法によって平等が崩れるということはありそうですね。でも疑問もあります。
黒人解放運動によって、実際のところ、黒人と白人の平等は実現したのでしょうか?
アメリカの人々の意識下において、「黒人は劣った者である」ないし「黒人は白人とは異なる者である」という観念は、どの程度消失して、どの程度残っているのでしょうか?
このシークエンスの実現加減はその点にかかっています。
事実を確認しましょう。
「黒人解放→白人の平等の崩壊→極端な不平等」はありそうな展開だが、人種間の平等はどの程度実現したのか?
「黒人解放」の現実
(1)人種間結婚
婚姻は人種問題の中核である。人種間結婚の率が高ければ、人種は希薄になり、やがては消滅するのだから。
下・79頁、英語版 228頁
アメリカにおける人種間結婚については、世論調査が継続的に行われています。その数字は、アメリカ社会が一貫して人種間結婚に寛容になっていることを示しています。2021年など94%が賛成です。なんて素晴らしい。
しかし、意識・イデオロギーの次元の現実に対する影響力が大きくないことを知っている私たちとしては、この数字を真に受けるわけにはいかない。現実の婚姻の方をしっかり確認しましょう。
人種間結婚の割合(2010年)
アジア系・ヒスパニック | 25% |
黒人 | 17% |
– 黒人男性 | 24% |
– 黒人女性 | 9% |
17%という数字を見ると、「人種間結婚はまあまあ進んでいるじゃないか」と感じるかもしれません。
17%というのは「結婚した人の中の」割合ですが、黒人の場合、そもそも、結婚できる人の割合が非常に低いのです。
黒人の婚姻率(2010年) | 31% |
比較対象がないと判断できないので、2021年の数字ですが、白人の婚姻率を補足します(https://www.jbhe.com/2022/11/the-significant-racial-gap-in-marriage-rates-in-the-united-states/)。
アメリカ人の婚姻率(2021年)
白人の婚姻率(男性・女性) | 54%(55.5%・52.4%) |
黒人の婚姻率(男性・女性) | 31.2%(34.4%・28.6%) |
31.2%の中の17%、とくに女性の28.6%の中の9%という数字は、あまり意味のある数字とはいえないでしょう(あまり変化がないようなので2021年と2010年で計算しています)。
なお、婚姻率のデータは、離婚によって「現在」婚姻状態にない人が非婚姻者として扱われるため、とくに白人の婚姻率が低めに出る傾向があります。婚姻未経験者のデータで補足しましょう。
婚姻未経験者の割合(2021年)
白人 | 27.5% |
黒人(男性・女性) | 50%(51.1%・48%) |
ざっくりいうと、白人の場合、7割以上が結婚しその3割程度が離婚、黒人は半分しか結婚できずその4割が離婚、という感じです。
とくに黒人女性の状況の過酷さを表すデータとして、トッドは出産した女性の中の未婚者率に注意を喚起していますので、それも見ましょう。
出産した女性のうちの未婚者率(2008年)
白人 | 40.6% |
ヒスパニック | 52.6% |
黒人 | 71.8% |
黒人女性の場合、「子供がいる人は未婚なのがスタンダード」ということになっているわけです。
ただし、人種間結婚の割合は学歴によって有意に差があり、高等教育に達した層では、黒人と白人の結婚(黒人女性と白人男性を含む)に増加が見られることが指摘されています(下・80頁)。
高等教育組は、たしかに、社会生活を人種を基礎に把握するというやり方から逃れつつあるのかもしれない。
下・80頁、英語版 229頁
経年変化ではありませんが、学歴による違いを示すデータとして、2つのグラフをご紹介します(いずれも2014-15)。
黒人への差別感情は失われていないが、高等教育を受けた層では解消に向かっている可能性がある。
(2)非エリートとエリート
高等教育に達したエリートとそれ以外の人々では、人種に対する態度が異なるようだ、ということが分かりました。
そこで、アメリカ社会を「非エリート/エリート」の2つに分けて、それぞれの動きがアメリカの「平等」にどう影響したかを見ていきましょう。
①非エリートに残る人種主義
人種差別撤廃・人種解放のために行われた各種政策は、黒人の包摂を進めたと同時に、とくに非エリートの白人が黒人に対して敵意を抱く原因になったことが指摘されています。
「感情的な社会分断」をもたらしたものとしてとくに知られているのは、「バス通学」とアファーマティブ・アクションです(中野耕太郎『20世紀アメリカの夢』シリーズ アメリカ合衆国史③(岩波新書 2019年)225頁以下参照)。
「バス通学」については、中野先生に教えていただきます。
「バス通学」とは、公教育の人種統合を進めるために、遠距離のバス輸送でもって郊外の白人児童と都市中心部の黒人児童を一定数シャッフルし、既存の学校の「共学化」を進めようとする取り組みである。
中野耕太郎『20世紀アメリカの夢 世紀転換期から1970年代』シリーズアメリカ合衆国史③(岩波新書 2019年)227頁
ほうほう。
当初から白人の親の反発は強く、ノースカロライナではバス通学を用いた統合の「強制性」が違憲だとして提訴された。だが、これに対する1970年の最高裁判決‥‥は、「バス通学」は生徒の人種比率の不均衡を改善する方途として‥‥適切なものであると宣言した。この決定は、居住区による人種分離が歴史的に存在してきた北部都市圏でも同様の不均衡是正が求められることを意味した。そして、北部に移住し、都市内部の貧困地区に暮らす黒人の親は、「バス通学」による子供世代の格差解消=「社会的な平等」に期待をかけた。
同 227-228頁
一般に、黒人に対する差別意識という点では、奴隷制という形をとりつつも歴史的に共存してきた南部よりも、北部の方が強かったと言われています。
北部は、奴隷制に反対してきた手前、あからさまに差別的な制度を設けることはせず、居住区を分け、学校を分けるというやり方で、黒人と白人を「事実上」分離し、差別感情を満たしてきたわけですが、「それもダメ」と言われてさあ大変。
‥‥この北部都市の「バス通学」は激烈な反発を各地の白人労働者層の間に巻き起こした。例えば、ボストンのアイルランド系白人地区サウスボストンでは、バス通学する黒人児童に対するヘイトスピーチや投石が常態化した。当時ボストンで組織された反「バス通学」団体の名称ーー「我々の疎外された権利の回復」(ROAR)〔Restore Our Alienated Rights〕には、市民権運動や左翼カウンターカルチャーに圧迫されてきた、かつてのサイレント・マジョリティの偽らざる感情が表現されている。
同 228頁
一点、注目しておくべきことは、白人の非エリート層が黒人に向けた反感は、実際には、白人のエリートに向けられてもおかしくない性質のものだったということでしょう。
「バス通学」や雇用等における黒人優遇を義務付けるアファーマティブ・アクションが本格的に実施され、感情的な争いを引き起こしたのは1970年代です。
基本的に高等教育組である「都市リベラル」が、60年代後半からの延長で女性や黒人を含むマイノリティの権利を主張していた1970年代は、一方で、米国産業の国際競争力の低下があらわになり、貿易収支がマイナスに転じたときでもありました。
物価が高騰する中、失業率は上昇、賃金は下落したため、郵便や鉄道、製造業の労働者は困窮し、ストライキ、デモなどを含む激しい労働争議を展開していました。
アファーマティブ・アクションが「優遇枠」の対象にしたのは、警察、消防、行政の仕事を請け負う建設業などの「非エリート」的職種です。
ベトナム反戦運動のときと同様、黒人解放・人種差別撤廃を主張するのはエリート、実際に影響を受けて生活が困窮するのは非エリート(労働者)という明白な「非対称性」がそこにはあったのです。
庶民地区で黒人の子供と白人の子供を混ぜ合わせようと試みた「強制バス通学」が、そして次には、大学の入学許可に、また警察、消防隊をはじめ、あらゆる種類の行政部門の人員採用に黒人枠の割り当てを押し付けたアファーマティブ・アクションが、自由貿易によって引き起こされた米国産業の崩壊という文脈の中で、直接の影響を被る階層の白人集団の敵意をかき立てるという結果を生んだ。
下・81頁
黒人解放闘争は、実際、いずれは中流になれると信じていた白人労働者たちが再び無産階級に転落する過程と、歴史的に一体のものとして捉えられてきたのだ。
下・81頁、英語版 230頁
黒人解放運動は、非エリートの白人の反黒人感情をかき立てた。
反黒人感情の背後には、自由貿易による国内産業の低迷という文脈における白人間の対立(エリート VS 非エリート)という構図も隠れていた
②人種感情の政治利用:共和党の場合
こうした非エリートによる(ある程度やむを得ない)人種感情の高まりに、エリートはどう対応したのか。
国内の経済環境の悪化で労働者階級が困窮し、その怒りの矛先が黒人に向いてしまったというのが当時の状況です。
理想の政治家なら何をするかというと‥‥そうですね、さしあたり社会保障を充実させた上で、国内産業を再建し、同時に黒人の地位向上のために尽力する、という感じでしょうか。
アメリカの政治家はすべてにおいてその裏を行きました。社会保障を切り詰め、産業の競争力低下の元凶である自由貿易主義をいっそう推し進め、それらの政策に支持を得るために、非エリートの人種感情を利用したのです。
人種感情は、高等教育享受層に属する政治家によって、ニューディールと第二次世界大戦の遺産である平等主義的政治経済システムの崩壊を推し進めるために利用された。1960年前後までは白人間の平等の原動力であった人種感情は、1980年以後は、白人の経済的平等を破壊するための道具となったのだ。
下・80頁、英語版 229頁
本来、とくにこの経済的苦境の中では、社会保障(生活保護、各種給付金など)は労働者階級の白人にとってこそ欠かせないものです。
しかし、人種差別撤廃運動に対する敵意がつのって、労働者階級の白人には、中央政府による福祉政策が「黒人優遇政策」にしか見えなくなってしまった。
この状況を巧みに利用したのが共和党です。
レーガン政権は、黒人のシングルマザーを(生活保護で楽に暮らしている)「社会福祉の女王(Welfare queens)」として槍玉に挙げ、労働者階級を煽って「反福祉国家」論者に仕立て上げ、富裕層に対する減税と社会福祉の徹底した縮減を実現したのです(スゴイですね‥‥)。
こうして、かつてはリンカーン率いる奴隷制廃止党であった共和党は、「減税」「反社会福祉」を謳って非エリートの白人有権者の心を掴み、「白人の党」に変貌していきました。
人種差別撤廃を謳う中央政府への憎悪によって、共和党は社会福祉や税金の正当性に異議を唱えることが可能になった。福祉や税金はマイノリティーを利するものとして誇張して捉えられていたからだ。新保守主義が隆盛し、レーガンがニューディール以来の国家像に異議を唱えることができたのは、こうした人種・教育・経済的な文脈のゆえである。経済学の論争とはほぼ関係がなかったというべきであろう。
下・82頁、英語版 231頁
共和党は、新自由主義的政策(社会福祉削減、富裕層の減税等)を推進するために、非エリート層の白人の人種感情を利用した
③リベラルな言説の裏で:民主党の場合
共和党が「白人の党」に舵を切ったことで、「リベラル」の民主党は、黒人の圧倒的支持を得るようになりました。しかし、民主党の方も、白人の反黒人感情を利用という点では、決して共和党に引けをとりません。
ビル・クリントンは、黒人のジャズ・ミュージシャンと共に舞台上でサックスを吹くパフォーマンスを何度も行なって、そのリベラルな姿勢をアピールした大統領です。
同時に、彼は、犯罪者に甘いという民主党のイメージを覆すべく、犯罪に厳格に臨む立場を強調しました。しかし、厳罰と人種主義の間に何の関係があるのでしょうか。
「犯罪との戦い」。それは共和党と民主党がともに反黒人感情をあおるために用いた「暗号」でした。
クリントンは、アーカンソー州の知事として大統領選に臨んでいた最中、勝負を決める予備選の前日に、地元に戻って死刑囚の死刑執行に立ち会っています。「犯罪との戦い」をアピールするために選んだのは、いうまでもなく、黒人死刑囚の死刑執行でした。
1982年に「薬物との戦争」を始めたのはレーガンの共和党です。トッドは、どちらかといえば薬物犯罪が減少傾向にあった時期に「戦争」が開始されたこと、そして、薬物全体では白人の使用率の方が高かったのに、わざわざクラック(安価だったため黒人コミュニティでの使用者が多かった)を対象としたキャンペーンを展開し、黒人を集中的に刑務所に入れたことを指摘しています。
しかし、薬物戦争がクライマックスに達し、「アメリカの収監率がめまいのするほどの高さに達した」のは、クリントン大統領(任期1993-2001)の時代だったのです。
共和党と民主党はともに「犯罪との戦い」の標語の下、反黒人感情を煽った。
(3)黒人の大量投獄:奴隷制の再来?
この時期の収監者数の上昇に占める黒人の比率を見れば、「薬物戦争」が黒人をターゲットとしたものであったことは明らかといえるでしょう。
トッドはまた、1965年から69年生まれの人が生涯に刑務所に入るリスクの数値を示しています(基準など詳細が分かりませんが、出典は2006年のこの本)。 とくに高等教育に達していない黒人の数字は驚くべきものです。
生涯に刑務所に入るリスク
白人全体(高等教育機関入学者・非入学者) | 2.9%(0.7%・5.3%) |
黒人全体(高等教育機関入学者・非入学者) | 20.5%(4.9%・30.2%) |
アメリカで刑務所に入るということは、その経歴が一生つきまとい、公的住宅の利用や雇用の機会が制限されることを意味します(選挙権も剥奪されることが多いそうです)。
拘禁刑は、その期間そのものの長短にかかわらず、社会からの非常に長期にわたる排除を意味する。その意味で、アメリカにおける大量投獄を、奴隷制という「奇妙な制度(peculiar institution)」の再来とみなすLoic Wacquantの指摘は、きわめて適切であると思われる。
下・90頁、英語版 234−235頁
1980-2000年代初頭、政府(共和党・民主党)は、「薬物戦争」の名目で大量の黒人を収監し「新たな奴隷制」を構築した。
今日のまとめ
- 高等教育の進展が社会に亀裂を入れ始めていたのと同じ頃、黒人解放運動が始まった。
- 黒人への差別感情は失われていないが高等教育層では解消に向かっている可能性がある。
- 人種差別撤廃のための施策は、労働者階級の白人の反黒人感情をかき立てた。
- 反黒人感情の背後には、自由貿易による国内産業の低迷という文脈における白人間の対立(エリート VS 非エリート)の構図も隠れていた。
- 政治家は、白人非エリート層の人種感情を煽り、新自由主義的政策(社会福祉削減、富裕層減税等)の推進のために利用した。
- 1980-2000年代初頭には「薬物戦争」の名目で大量の黒人が投獄され「新たな奴隷制」と評価された。